第6章 監査激震(続)
第2節 戒告処分
この監査によって松江保健生活協同組合(松江診療所、朝日診療所)は、診療活動に重要な修正をせまられる結果となった。
組合員の一部負担金徴集にあたって、初診料は全額、家族負担は一割をそれぞれ減額していた設立以来の「恩典」は、すくなくとも表向きは取りやめねばならなくなった。福島造船の御手船場、向島両工場、中村造船の東本町工場が当時のひる休み時間の出張先だったが、さしあたっては「どこどこ工場の何某だが往診してほしい。」と電話をかけさせ、職場に往診に行ったら、序診を依頼する者があって他も診察するというやり方、つまり曜日をきめて出張するのではなしに、往診依頼によって診療するという形式にあらためられた。
監査で指摘された、無資格者あるいは労災受傷者の診療、重複請求等については、監査当日から松井が主張していたように単純な事務上のミスであり指摘されれば訂正して診療報酬の清算によって片つくものだった。しかし「無診投薬」については、「無診投薬があるのは当然だ!」との主張をした
一方で、実地調査で診療の事実なしと証言した患者についても監査の場で「それは患者の思いちがいだ。ほんとに診療をした。」と申立てたのだから、何らかのアフタケアをせねば、と松井も暁も考えた。
暁は自転車を走らせ、調書をとられた数十人の患者を訪問して監査の話をし、実地調査のことを思い出してもらうようその人たちにお願いした。カルテを見せ、カレンダーをめくって記憶をたどり、証言をしてもらった。
日ましに炎暑がきびしくなる七月中旬、監査直後の幾日かを費消して次の組合員・家族の確認書をあつめることができた。紙こよりで綴じた確認書原本の第一頁を左に写し、第二頁以下は名前だけを列記する。
『 確認書
松ふい 一〇
被保険者 岩崎伝兵衛
明治二十四年八月五日生
私は昭和三十年一月中旬風邪をひきましたので松井先生の診療を受け薬を二回貰いました。二月初め手にヒビが入りましたので診療所で診療を受け塗薬を一回貰いました。
右の通り相違ありません。
昭和三十年七月二十日
被保険者 岩崎伝兵衛』
右のほか次のものが確認書を書いた。
勝部次男、左野秋次郎(ヒロ子)、鈴木孝、小村恒夫、恩田光(八栄子)、恩田光(定子)、佐藤博、深田清(久子)、金築良作、清水誠吉、堀内武雄、渡部廉一、内村実、木谷直信、有田一男、大滝茂、西尾徳一郎、小室芳明(武志)、小室芳明、上田六之助(ハナ)。
有田一男(市内栄町)以外は全員が、福島造船鉄工所の労働者とその家族だった。労働組合も黙過できないとして、保険課の「実地調査」を批判する意見書にハンを押してくれた。保険医松井秀枝の監査結果について弁明意見書に、これら確認書(二十一通)労働組合の意見書(一通)を添付して七月二十二日提出することができた。保険課側から提出をもとめられた訳ではなかったが、きちんと証言によって反撃しておきたいと皆で考えたからである。次に「松井意見書」と「労組意見書」を写しておく。
『 意見書
保険医 松 井 秀 枝
一、この監査は本年三月に一度企図された時のものと同一の資料(実地調査書)に基いて行われた。
この資料は「統計のため」と称して患者に「覚え間違いがあっても良いから」と証言を要求して作り上げられた。
すでに其時、資料の大半を占める福島造船工場の患者及び実地調査に居合した被保険者諸君によって、その資料に対する責任は全く持てないことが明らかにされているものである。泉田保険課長は、三月二十九日松江保健生活協同組合理事会との話合いの席上で、このことについて「調査に間違いはありうる。患者の記憶違いはありうる。」と明言されたと聞いている。にも拘らず、あくまでもその資料をたてに行はれたことは理解に苦しむ処である。その資料がどのようなものであるかは資料採取当時の福島造船労組の意見書及び同一患者にカルテを示しての私からの調査(何れも別紙)が全てを語るであろう。
二、保険診療に事務的雑務の多いこと、むしろ多過ぎることは凡ての医師の認める処である。それは単にカルテの整備のみに止まらず保険証、請求明細書等全般に亘る。
保険医は日常不断にこれらを整備せねばならぬのである。この度の監査で指摘を受けた請求書、カルテの不突合、重複請求及び無資格者の診療、カルテ記載の不備、記号番号誤記は凡てこの煩雑な事務手続の中で、その手違いから生れたものであることが明らかになった。(業務上の傷病の診療を二件指摘しているが、患者は業務上傷病ではないと申立て、診療したものである。)これらはその都度或は何例か繰返された時、電話で指摘を受けても済むし以後は一寸の注意で未然に防ぐことの出来るものばかりである。だのにそのことはしないで、何かがその底に秘められているかの如くに、幾例も集めた上、而も尚患者の内偵を行い、恰も犯罪捜査をやる様な印象を与える手順をふんで監査に持出された。
審査過程で当然減点すべきメチロン50%1CC、フストジル2CC皮注も各々八点と誤記(カルテには六点と記入)した請求明細書も監査資料として抽出されている。
これで保険診療の適正化を図るためだという監査の目的にそうだろうか!この 監査の経過や実情を聞いた被保険者、患者の人々がいみじくも言ったように、これは将に「罪人を造ろうとする警察的やり方」であると思わざるを得ない。
昭和三十年七月十四日
右 松 井 秀 枝
添付書類
一、確認書 二十一通
二、意見書 一通 』
『 意見書
松江市御手船場町
福島造船労組
昭和三十年七月十四日、当労組の組合員多数を診療している、保険医松井秀枝氏の監査が行れ、我々としてもこれに注目していたのであるが、監査の中で、松井保険医の診療を受けた患者について、県保険課が行った「実地調査」と松井保険医の診療内容に食違いがあることが問題になったことを聞いた。この患者の過半数が当労組の組合員及びその家族で占められているので、当組合としても「実地調査」の実態について調査したところ次のような事実があるので意見を述べたい。
一、「実地調査」時、その事業所につき、被保険者の質問、検査をすることを命ぜられたことの証票の提示が保険課係員よりなかった。証票携帯の有無は確認した者はいない。
二、「実地調査」目的の明示がなかった。調査を受けた組合員の或者が「何の為か。」と問うた処「統計にするためだ。」と答えている。又或る組合員の家族が自宅で調査を受けた際「何の為にされるのですか。」と問うた処「毎年保険の状況を統計にしているので、その資料だ。」と答えたという。のみならず或る組合員が「何回診療をうけ、薬を貰ったか、はっきり覚えていない。」というと、「覚えている範囲で良い。」と答えたという。
三、「実地調査」は、保険課係員の質問に患者が答え、それを係員が記入するという方式で行はれている。患者は署名捺印させられているが、その調書の内容を見せられ、或は読み聞かされた者はいない。
右に三点をあげたが、このような実態であるので、この「実地調査」は、
第一に患者自身が責任をもつことが出来るものではない。
第二に保険課が希望しておられる保険診療の実状把握という目的にそえるものと思えない。
第三に保険医の診療録や、保険請求明細書と突合しないことは、むしろ当然でさえある。
当組合の意見は、右の通りである。
昭和三十年七月二十一日
福 島 造 船 労 働 組 合 印』
その年の暮十二月はじめに「社会保険医療担当者の行政処分について」との文書が到着した。「戒告処分」にするというものだった。松江保健生活協同組合理事会は、経過報告と文書をつけて、県からの通告文書写を組合員など関係方面に配布した。次に写しておく。
『 前略
さきに「強いからだ」第十二号におきまして、松井先生に対する戒告処分の内定をお知らせしましたが本日別紙のように、恒松県知事名の戒告書が、志水県民生部長より送達されてきました。
私共は当初理由を明らかにせず、一片の通告だけで監査を強行することに反対しましたが、かえりみてやましい所がなければ監査も恐れるに足りぬという立場から、松井先生は患者有志の見守る中で監査を受けました。その結果は厚生省、ならびに県側は、カルテ整備、請求書記載不備等を指摘したのみでありました。松井先生は「こんな事なら監査せずとも手違いの起る都度に電話ででも注意を与えればよい、以后は一寸の注意で改めることのできる問題である」旨の意見書を提出しました。
今日、保険医監査は、保険医資格取上げ等行政処分をふりかざして、全国的に行われております。現に本県でも数ケ月の資格停止処分を受けた方があると聞きます。これは、労働者の健康保険を制限しようとする種々の動きと全く同じことであります。
松井先生は、戒告処分を受けたもので何ら保険診療に圧迫は加えられなかったのですが、人命をあずかり診療を行っている保険医を罪人扱いにする動きには反対せざるを得ません。
先般の監査にあって、不当監査反対署名等に御協力願いました皆様に御報告申上げる次第でございます。
十二月十三日
松江保健生活協同組合
松 江 診 療 所
朝 日 診 療 所 』
写
保医一五九八の二号 昭和三十年十二月一日
島根県民生部長 志 水 清印
松 井 秀 枝 殿
社会保険医療担当者の行政処分について
貴医の取扱いに係る社会保険医療の全般につき監査した結果その内容に不適正と認められる点があったので今般別紙のとうり処分の決定をみたから通告する。
写
戒 告 書 松 井 秀 枝
さきに貴医の取扱いに係る社会保険医療全般につき監査したところその 取扱い状況が不適正で、社会保険医療担当者としての責務を怠ったと認められる事例があったことは真に遺憾とするところである。
事故の内容については担当官より指摘注意したところであるが今後の取扱いに当っては関係諸法令を研さんされ再びかかることのないよう厳に自粛自戒されたい。 右戒告する。
昭和三十年十二月一日 島根県知事 恒 松 安 夫 印
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