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陶磁器用語辞典 石州亀山焼編陶器は太古の昔より先人により培われてきた生活の礎であり芸術として生活になくてはならないものです。陶器なくしては人間らしい生活もままならないと言っても言いすぎではありません。そこでこのホームページでは2000年4月に開設して以来少しづつですが陶磁器用語を書いてまいりました。陶磁器の世界に身を置く者として、私が普段何気なく使っている陶磁器用語は馴染みのない方にはただの歴史用語としか聞こえないものであると思います。そこでまず初めに、まったく陶器の世界には関係のないお客様または陶器に興味があり教室に通ったりして技術や知識を増やしたい方あるいは職業として窯元になりたい方にとっても有益な解説をしていきたいと思います。あなたが陶器の専門家にならなくてもどこかで陶器のホームページやブログを御覧になって、わからない陶磁器用語がありましたら、このページを思い出していただいて読んでくだされば幸いです。 陶器と磁器の違い / 陶磁器用語陶器と磁器の違いについて、毎回個展あるいは展示会のたびに多くのお客様からご質問をいただきますので、ここで一度まとめておきたいと思います。下の表で一覧にまとめてみましたが、磁器は、(スーパーホワイトのようなもの、黄味がかったもの、磁器だけれど色釉をかけたもの、金箔で覆ったものなどもありますが)ほぼ白色だと思って大丈夫です。陶器は、色は釉薬によって白、赤、黒、青、緑等多種多様な色があります。これがまず第一に陶器と磁器の違いでしょうか。次に透明性ですが、日にかざしてみると 陶器は透けません、磁器は若干透けて見える これが第二の陶器と磁器の違いです。 次に吸水性ですが、陶器は若干しみこむ程度ですが生地が水分を吸い込むことが知られています。磁器はまったく吸水性がありません。この吸水性により萩の七化け等陶器に味が出てくる要因になっているこれが第三の陶器と磁器の違いです。 焼成温度は、陶器より磁器のほうが100度くらい高いのが普通です。陶器は主成分が粘土、磁器は主成分が陶石(とうせき)という石の粉末で陶石の方が耐火度が高いのです。これが第四の陶器と磁器の違いです。 フチを指ではじいてみると、陶器は鈍い音がする、磁器はピンピンとかカンカンとか金属製の高い音がする これが第五の陶器と磁器の違いです。 貫入について、陶器は透明釉など厚くかかった釉薬に顕著に出る、磁器は上薬が薄いので肉眼ではほとんど見えない(実際には微細な貫入が入っているのですが)。これが第六の陶器と磁器の違いです。 また壊れ方や様子にも違いが見られます。陶器はフチや肉厚の薄い部分が壊れやすいのに対して、磁器はそのような傾向は無くその硬さゆえ壊れると角がたち、角度が鋭利なためうかつに触ると危険です。これが第七の陶器と磁器の違いです。 焼き方には、大きく分けて酸化焼成と還元焼成があります。酸化焼成は、炎に対して空気を多く青っぽい炎で焼くもので、還元焼成はその反対に空気を少なくして赤黒い炎で焼くものです。陶器は、酸化焼成と還元焼成ともに使って焼成をします。磁器は還元焼成です。酸化焼成すると黄色っぽくなるので白い生地を見せたい場合普通はやりません。(全体に釉薬をかける場合はOK)これが第八の陶器と磁器の違いです。 陶器と磁器の見分け方ですが、作品をひっくり返して丸い輪の部分これを高台(こうだい)と言いますが、高台が茶色くざらついているのは陶器、白くてなめらかできれいなのは磁器だと大体判別できます。これも陶器と磁器の違いですね!
陶器と磁器を両方される陶器家が『半磁器』の作品を作られることが多いようです。 陶器と磁器には上でみたようにいろいろな部分で違っています。どちらが良い悪いというものではなく昔から陶器と磁器はそれぞれに違った役割と個性を持ち多くの人たちから愛されてきました。その陶器と磁器の違いを踏まえたうえで購入し賢く使っていくことが出来たら毎日の生活はもっと楽しくなるのではないかと思います。 貫入 (かんにゅう) / 陶磁器用語当窯の陶器は、釉薬の種類により貫入が入るものがあります。貫入は釉と素地の収縮率の差により、焼成後の冷却時に生じた釉のヒビのことでキズではありません。通常の陶器は、素地の上に釉薬を施釉してから1200度から1300度という高温で焼かれます(釉薬の種類により違う)。その際釉薬は溶けてガラスのような層(Sio2)となって陶器の上を覆います。焼かれた後は次第に冷えていくわけですが、その時の収縮度が陶器本体の素地と釉薬とで違うのです。この差が大きいと(10%以上と言われています)釉薬がひびのような状態になって固まります。これが貫入です。 これ以上の収縮率がある場合、釉薬が生地から剥がれたりします。それは陶器としては使えません。ほどほどが大切です。 貫入は、磁器にも陶器にも入っています。磁器は釉薬が薄くてほとんど目には見えないだけなのです。貫入は透明釉が厚くかかったやきものにはっきりわかるように出てきます。亀甲貫入釉は、釉薬を2.3度厚掛けし貫入そのものを装飾として使っている釉薬です。あたる光線の加減で貫入が亀の甲の文様に見えるところからこのような名前がついたと言われています。 貫入は、熱い窯から作品を取り出す時またはその直後にたくさん入いります。ピンピンという音をたてて入っていく貫入はとても神秘的で美しいものです。ずいぶん前ですがラジオで音の風景?のようなタイトルの番組でえんえんと貫入が入っていく音を聞かせてもらいました。それは偶然聞いたものですが、確かに貫入の音は美しく感動的でした。まるで夏の風鈴のようでした。 ![]() 貫入は普通冷え切るまで数日間は進みます。そしてピンピンという音もしなくなるので、もう貫入が入るのも終わりだなと思われる方も多いかもしれません。ところがです、上下の抹茶茶碗まったく同じ釉薬をかけて焼いているにもかかわらず、下の抹茶茶碗のほうがあきらかに貫入が少ないのです。 ![]() 私の知る限り貫入は窯出し後数日間で入ってしまいそれで終わると思っていました。ところがこの2つの抹茶茶碗を見る限りそうではないようです。上の抹茶茶碗は、下の物より古いものなので数年をかけてゆっくりゆっくり貫入が入っていったことが伺い知れます。 下のほうはまだ新しいので貫入の数が少ないですね。 私は御客様と接する機会が多いので小耳にはさんだことですが、御客様の中には、貫入がヒビで、入っていてはいけないものと思っていらっしゃる方も多いのが現状です。貫入に汚れが入り込んで『ばっちい』『きたない』と言われたことがあります。 とても残念ですが、衛生的によくないと思い込まれている方は貫入のどこが良いのか 御理解いただけないようです。一度使われるとその良さもおわかりいただけると思います。 また貫入が入ったコーヒーカップや湯呑に熱いコーヒーやお茶を入れて飲むと新しく貫入が入って良くないと教えられたことがあると聞いた事があります。陶器は1250度前後で焼かれたものがほとんどです。50度や60度ぐらいまたは100度の熱湯を入れたとしても、膨張が起きて新しい貫入が『人為的に』入ることはありません。貫入が入るときは、あくまで自然に釉薬と生地との収縮率との関係において入っていくものです。熱いコーヒーやお茶を飲むたびに新しい貫入が入るなら、皆さんのコーヒーカップも貫入だらけになってしまいますね。 昔の茶人はこの貫入が入った抹茶茶碗をことのほか好んだそうです。それは時間とともに使い込まれていくわが抹茶茶碗の変化をめでていく心の余裕とでもいいましょうか、我が子を育てるように愛情を注ぎ込んでいくために使うたびに少しづつ茶渋が貫入に入り込みそれが新しい景色となっていきます。抹茶茶碗の中には宇宙があると言われます。茶道または抹茶茶碗の奥深さを知る思いです。
亜鉛華(あえんか) / 陶磁器用語酸化亜鉛を工業薬品、顔料、医薬品としてもちいる場合にいう。顔料の場合は、亜鉛白ともいう。やきものでは、釉の媒溶剤として、また、失透釉(マット釉)の結晶化のために添加される。 亜鉛釉 (あえんゆう) / 陶磁器用語亜鉛華など、アルカリ以外の媒溶剤を加えた釉薬。1100〜1200℃ぐらいで白っぽく不透明になり、さらに温度をあげると透明になる。 ブリストル釉ともいう。 上野焼(あがのやき) / 陶磁器用語上野焼(あがのやき)は福岡県田川郡福智町で焼かれる陶器。江戸前期に高名な茶人でもあった大名、細川忠興が小倉藩主となった際、家臣であった朝鮮人陶工、尊楷(上野喜蔵)に命じて、当時の上野村に登り窯を築かせたの が始まり。江戸時代には遠州七窯の一つにも数えられるほど、茶人に好まれた。明治期には衰退の様相を見せたが、 明治35年に復興、1983年には通産省(現在の経産省)指定伝統的工芸品の指定を受けた。 上野焼の特徴は他の陶器と比べると生地が薄く、軽量であることである。また使用する釉薬も非常に種類が多く、 青緑釉、鉄釉、白褐釉、黄褐釉など様々な釉薬を用い、窯変(窯の中で釉薬が溶け、千変万化の模様を作り出すこと) を生み出すのが特徴で、絵付けはまず用いていない。 抹茶茶碗 (まっちゃちゃわん) / 陶磁器用語『1井戸2楽3唐津』または『1萩2楽3唐津』など茶碗の好みの順番をいったものですが、これは諸説あり『1楽2萩3唐津』というのもあるようです。<名前の付け方> 1対馬の井戸家にあった茶碗だから 「井戸」 2堺の魚商が所持していたので 「ととや(魚屋)」 3草木の染付(そめつけ)は 「雲草」(うんそう) 4手ざわりがイライラしているから 「いらぼ」 など 所有者の家柄や固有名詞を付けたり、入手経緯によったり、茶碗の景色によって名前を付けたりわかってしまえば結構単純なものです。国宝級の茶碗などは、さすがに景色のよいものや 歴史上有名な人物のもとを渡り歩いてきた経緯がはっきりしているものは 珍重されています。 ただ、現代につくられた茶碗がだめなのかというとそういうものではないと思います。 現在非常に有名で高価な茶碗でも、むかしは朝鮮の農家の人が使っていた飯茶碗だったという話もあるくらいです。 ![]() 上から、『口造り』くちづくり、 『口辺下』くちべりした、 『茶巾摺れ』ちゃきんずれ 『胴』どう 『茶筅摺れ』ちゃせんずれ 『腰』こし 『見込』みこみ 『高台脇』こうだいわき 『茶溜り』ちゃだまり 『兜巾』ときん 『高台内』こうだいうち 『高台』こうだい 『天目茶碗について』 由来---昔日本の僧が中国の天目山(てんもくざん)にある径山寺(きんざんじ)などで修行し帰国の折に茶碗を持ち帰り、茶事が行われるようになりました。地名から天目茶碗と呼ばれますが、窯は福建省の建安にあり多く焼かれていたので『建盞』(けんさん)とも呼ばれていました。 『曜変天目』は、『耀変』『窯変』『旺変』とも書き、その希少性ゆえ非常に珍重され茶碗のなかでは最高位になります。 (現在では、この耀変天目茶碗もほぼ再現できますが 数百年も昔にこの天目茶碗が焼きだされるのは 現在100億円の宝くじが当たるくらいの難しい確率ではなかったかと推察されます。) 『油滴天目』(ゆてき)、『禾天目』(のぎ)、『灰被天目』(はいかつぎ)、『只天目』(ただ)』、『蓼冷汁天目』(たでひやじる)、 『柿天目』(かき)、『烏盞天目』(うさん)『黄天目』(き)、『玳玻盞』(たいひさん)---別名『吉安天目』(きちあん)、『吉州天目』 (きっしゅう)、『鼈甲天目』(べっこう)などとも呼ばれました。 赤絵 (あかえ) / 陶磁器用語赤色を基調とし、緑、黄、藍など、多色で上絵付けしたもの。天草陶石 (あまくさとうせき) / 陶磁器用語熊本県天草郡下島の西北端の海岸付近から採れる石。可塑性があり、アルカリや珪酸を適度に含むので、単味で磁(器)土になる。また、釉薬の一部としても使える。 穴窯 (あながま) / 陶磁器用語古い窯の一形式。山の斜面に穴を掘り、天井だけを築いた窯。多くは単室で、天井に差木孔が設けてある。 燃料は、赤松を多くつかい、灰かぶりのものを焼くのに適している。 現在でも穴窯を好んで焼く陶器家も多い。 陶磁器分類 (ぶんるい) / 陶磁器用語
これ以外に、『半磁器』と言われるものもあります。陶土に磁器土をまぜ耐火度を高めたものです。 陶器と磁器を両方される陶器家が『半磁器』の作品を作られることが多いようです。 やきもののできるまで / 陶磁器用語粘土をつくる硬さがまちまちなので、すぐには使えないため土錬機(どれんき)という機械にかけて柔らかくする。 すいひした粘土だけでは ふつうは焼くと傷がきたりして使えないため ほかの粘土と混ぜるために 土錬機にかけ適当な硬さになるまで、この作業を2〜3回繰り返す。また、日本全国のさまざまな粘土を混ぜて(ブレンド)して自分独自の粘土をつくることが多い。 粘土には 大きく分けて 白土(しろつち)と赤土(あかつち)があります。簡単にいうと 、白土はほぼ鉄分の入っていない土、赤土は多く鉄分が混入している土ということができます。これは、作品を作るうえでまた 施釉するうえで重要なことです。なぜなら、同じ釉薬でも白土にかけたときと 赤土にかけたときでは、釉薬の色の出方つまり発色のしかたに差ができるからです。 作品をつくる1.手びねり 粘土をひも状に伸ばして、少しずつ積み重ねていく手法。 時間はかかるが、円形にとらわれない自在な成型ができる。縄文式土器が代表例だが、決して程度の低い成型方法ではない。 2. A ロクロづくり 手ロクロ(卓上ロクロ)---手びねりにも使えるし、粘土をそのままのせて、なめすようにしてつくることもできる 電動ロクロ----現在陶器の世界では一般的なロクロです。同じものを大量につくることができる。 蹴(け)ロクロ---足でけってまわしてつくる。 産地によって、または右利きか左利きによって回転の方向が違う。 抹茶茶碗のように、一つずつ少し違ってできれば味があるものの制作に向いている。 B 型づくり 石膏型--- 丸いものは、機械(動力)ロクロというロクロに石膏型をはめ込んだものに粘土を入れ、上からこてをあててつくる 鋳込み--- ゲル状の粘土を泥しょうという。 泥しょうを、石膏型に流し込んでしばらくおくと 型との接着面は固化するので、泥しょうをすてて型をはずす。 仕上げ粘土でいちおう形をつくったら、高台(こうだい)を仕上げなくてはなりません。たとえば、ロクロで湯呑をつくったとすると 生づくりの段階ではまだ高台部分を削りだしてないので、非常に重く形が悪い。(湯呑やお茶碗をひっくりかえしていただくとわかるとおもいますが、おしりの丸い輪の部分です)これを、鉄のカンナや竹べらで削りだしてやります。素焼き(すやき)仕上げが終わり、室内で陰干しを数日間します。そうすることによって、硬くなりゆっくり乾いていきます。だいたい白くなったら、天日にあてて干します。完全に白くなるまで、時間をかけて干します。真っ白になったら、窯に積んで素焼きをします。だいたい850℃前後までで、なるべくゆっくり焼くことが大事です。 所要時間は、窯の大きさによって違います。(0.7の窯の場合 20から30時間ぐらいで焼いています。) 施釉(せゆう)数日たって、窯が冷めたら作品を取り出します。作品は、硬く半焼き状態になっているので取り扱いがとても簡単になっています。この状態では、作品にホコリやゴミがついていますので 布できれいにふき掃除をしてやります。そうしないと、釉薬がはじいたりするので、、、、。また、下絵を付ける場合には 絵が描けないということにもなります。 で、施釉ですが 事前によくこしてダマやゴミをとっておくことが大事です。釉薬によって 最適な濃度が違いますのでテストピースをつくりよく試験しておくことが大事です。 本焼成(ほんしょうせい、ほんやき)施釉がおわったら、よく天日にあてて乾かします。完全に乾かさないと、窯に湿気がまわって釉薬が剥がれ落ちたりします。梅雨時または冬季にはストーブにあてたりしてしっかり乾かしましょう。窯のたき方は、ひとそれぞれですのでここでは省略します。 窯だし本焼きが終わったら、数日間冷まします。陶器の場合は、100℃以下になるまで(冬は、50℃以下になるまで)じっと待ちましょう。 あわててふたをあけると作品が壊れます。 焼き締め (やきしめ)/ 陶磁器用語釉薬をまったくかけないで、最後まで焼きとおす焼成技法のこと。普通は、薪窯などで自然に灰がかかって 熔けて流れるような技法を用いる。信楽焼、備前焼、伊賀焼などに多くみられる。 石州亀山焼でも、金色の出る焼き締めを焼いています。担当は私ですが、焼くのはとてもたいへんで 景色をつくりだすのは至難の業です。ので、くわしくは申し上げられません。というより、窯の中のことはわからないというのが 正確な表現かもしれません。 下の作品は炭化焼き締めという技法で焼いています。 この金色は炎と土が作り出したもので、私が釉薬を吹き付けたりして作ったものではありませんので、とても希少価値の高いものです。 この炭化焼き締めについては、まったく同じように焼き上げることは不可能です。 ![]() 2003.6月の一畑百貨店松江店『第35回 しまねの陶窯展』におきまして『窯元別逸品展』で、御客様から約300票もの得票をいただき第1位に選ばれました。 有田焼 (ありたやき)/ 陶磁器用語有田焼(ありたやき)は、「伊万里焼(いまりやき)」とも呼ばれる佐賀県有田町を中心に焼かれる磁器である。 伊万里焼の名称は、有田焼積み出しの際、伊万里港からなされていたことによる。泉山陶石、天草陶石などを原料としているが、磁器の種類によって使い分けている。作品は製造時期、様式などにより、初期伊万里、古九谷様式、柿右衛門様式、金襴手(きんらんで)などに大別される。また、これらとは別系統の、献上用の極上品のみを焼いた藩窯の作品があり、「鍋島焼」と呼ばれている。 1977年(昭和52年)10月14日に経済産業大臣指定伝統工芸品に指定。 国指定重要文化財(伊万里)色絵花鳥文八角大壷(出光美術館) 色絵花鳥文八角大壷(サントリー美術館) 色絵五艘船図大平鉢(サントリー美術館) 染付花卉文徳利(箱根美術館) 染付山水図大鉢(大和文華館) 色絵花卉(かき)文輪花鉢(広島県立美術館) 染付山水図輪花大鉢(佐賀県立九州陶磁文化館) (鍋島) 色絵藤棚文大皿(九州国立博物館) 色絵岩牡丹文大皿(栗田美術館) 染付松樹文三脚皿(サントリー美術館) 色絵芙蓉菊文皿(サンリツ服部美術館) 色絵桃文大皿(MOA美術館) 染付白鷺図三脚皿(佐賀県立九州陶磁文化館) 色絵松竹梅文瓶子(個人蔵) その他 色絵狛犬(佐賀県重要文化財)17世紀後半 染付有田皿山職人尽し絵図大皿(佐賀県重要文化財)19世紀 アルカリ (あるかり) / 陶磁器用語水に溶ける塩基で、やきものでは溶媒作用をする。 普通、カリとソーダを指す。アルミナ (あるみな) / 陶磁器用語酸化アルミニウムのことで、化学式はAl2o3 釉薬を素地に付着させる役割をもつ。長石多く含まれる成分。 バーナード リーチ / 陶磁器用語バーナード・リーチ(Bernard Leach, 1887年 - 1979年)はイギリス人の陶器家。日本に度々来日し、白樺派や民芸運動にも関わりが深い。日本民藝館設立にあたり柳宗悦に協力した。香港生まれ。幼年期に母をなくし、日本に住む祖父と共に京都や彦根市で青少年期を過ごし、さらに植民地官僚だった父の再婚と転勤に伴い香港、シンガポールへと移った。ロンドン美術学校にエッチングの技法を学んだ後、留学中の高村光太郎と知り合い日本への憧れを抱き、1909年に版画家として来日し東京・上野に居を構えた。彼は生涯の友となる柳宗悦をはじめ白樺派の青年達と知り合いになり、彼らの本拠である我孫子で版画指導を行ったほか、イギリスで起こったウィリアム・モリスらのアーツ・アンド・クラフツ運動など西洋芸術についての議論を通して、手仕事の復権や日用品と美の問題などを語り合った。またリーチは富本憲吉と知り合い、彼とともに訪れた上野の博覧会会場で楽焼の絵付けを始めたことをきっかけに茶道や茶道具に惹かれて1912年に6代尾形乾山に陶器を学び、中国から戻った1917年、我孫子の柳の家に窯を開いて陶器家としての一歩を踏み出した。 備前焼 (びぜんやき) / 陶磁器用語備前焼(びぜんやき)とは、岡山県備前市周辺を産地とする陶器。備前市伊部地区で盛んであることから「伊部焼」との別名も持つ。同地区で数多く見られる煉瓦造りの四角い煙突は備前焼の窯のものである. 釉薬を使わず「酸化焔焼成」によって堅く締められた赤みの強い味わいや、「窯変」によって生み出され一つとして同じ模様にはならないのが特徴。現在は茶器・酒器・皿などが多く生産されている。「使い込むほどに味が出る」と言われ、派手さはないが飽きがこないのが特色である。 備前焼の魅力である茶褐色の地肌は「田土」と呼ばれる、たんぼから掘り起こした土と、山土・黒土を混ぜ合わせた土で焼かれるからである。胡麻(ごま)、桟切(さんぎり) 、火襷(ひだすき)、牡丹餅(ぼたもち)、青備前(あおびぜん)と呼ばれる窯変がある。 著名な備前焼作家金重陶陽(人間国宝) 1896年−1967年備前市伊部生まれ藤原啓 (人間国宝) 1899年−1983年備前市生まれ 山本陶秀(人間国宝) 1906年−1994年備前市伊部生まれ 藤原雄 (人間国宝) 1932年−2001年備前市生まれ藤原敬の長男 伊勢崎淳(人間国宝) 1936年− 備前市伊部生まれ 土器 (どき) / 陶磁器用語粘土を窯を使わず、野焼きの状態で700〜900度の温度で焼いたもの。釉薬(うわぐすり、またはゆうやく)はつけないが、彩色されているものを土器と呼ぶことがあり、その場合は、その彩色具を 釉薬としないことを前提としている。 遠州七窯(えんしゅうしちよう) / 陶磁器用語遠州七窯(えんしゅうしちよう)とは、江戸時代中期の茶人、小堀遠州が全国津々浦々の窯場から自分好みの茶器を焼いていたことで賞賛した、七つの産地の総称である。この遠州のお目にかかるということは、当時としては非常に誉れ高いこと であり、これらの産地は一躍、天下に名を轟かせることになった。そのうちの幾つかは、遠州が直接赴いて、茶器を生産 している。 その七つの産地は志戸呂焼(遠江:遠州)、膳所焼(近江)、朝日焼(山城)、赤膚焼(大和)、古曽部焼(摂津)、上野焼(豊前)、 高取焼(筑前)である。このうち、古曽部焼は明治末に廃絶、他の産地も決して規模は大きくなく、このうち経済産業省指定 伝統的工芸品に指定されているのは上野焼だけである。 しかし、これらの産地は遠州七窯というだけで知名度があり、その喧伝は今日にも十分通用するものである。 絵付け (えつけ) / 陶磁器用語器面に筆などで文様を描くこと。上絵付けと下絵付けがある。下絵付は、素焼きの表面に絵を描き 本焼きする。上絵付は本焼きした作品の表面に描きます。 それぞれに、専用の絵の具や筆があります。 画像は下絵付け ![]() 例 蛙目粘土(がいろめねんど) / 陶磁器用語花崗岩の風化によってできたカオリンを主成分とする粘土の中に、2〜5oほどの石英の粒子が入った粘土で、長石、雲母鉱物が混在している。夜、光があたるとカエルの目が光るように見えることから『がいろめねんど』といわ含鉄土石(がんてつどせき) / 陶磁器用語鉄を多く含んだ土や石。昔からやきものの産地の周辺で採集できる土が、釉薬の調合に利用されてきた。京都の加茂川石、瀬戸の鬼板、島根の来待石(きまちいし)など。 呉須 (ごす) / 陶磁器用語コバルト化合物を主成分とし、染付けの彩料として用いられる。磁器で、青い色の絵付けをしてあるものはこれである。青味の強いものや黒みの強いものなど種類や製品名もいろいろな種類がある。 風炉 (ふろ) / 陶磁器用語茶の湯の風炉はだいたい三つ足で、火、水、風の3つの卦(け)をあらわしています。 釜の入れ物。当窯の風炉は、2.朝鮮風炉と5.道安風炉.です。 陶器の風炉は、土風炉(どぶろ)と呼ばれていました。 (ちなみに、『かん』というのは、釜の左右に鬼面という飾りが付いていますが その中に通す金属製の丸輪のことです。) 例 ![]() 赤伊羅保釉道安風炉釜 古田織部(ふるたおりべ) / 陶磁器用語古田 重然(ふるた しげてる、天文13年(1544年) − 慶長20年6月11日(1615年7月6日))は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将であり、一般的には茶人・古田織部(ふるた おりべ)として著名。「織部」の名は、壮年期に従五位下織部正の官位を叙任したことに由来している。通称は左介。 茶人であった千利休のあとをつぎ茶の湯を指導した。黒織部、青織部などたくさんの釉や技法を考案し、白色を基本に多彩な色彩で 日本の陶器や茶の湯の世界に革命をもたらした。「織部好み」 イッチン (いっちん) / 陶磁器用語器面に文様を描くための道具またはその技法。ゴム質で球状のものに泥漿(でいしょう)をいれ、金属でできたとがった口をつけて押し出しながら描いていく。 伊賀 (いが) / 陶磁器用語奈良時代より三重県阿山郡周辺で焼かれた焼締陶(やきしめとう)。きめの細かい土の、豊かな肌合いにかかる青ビードロ釉や、石はぜが特徴。 伊万里 (いまり) / 陶磁器用語佐賀県西松浦郡有田町周辺で焼かれる磁器で、特に江戸時代末期以降の者を指す。文禄・慶長の役(1592〜98)のときに帰化した朝鮮の陶工・李参平(りさんぺい)が、有田泉山で原料を発見し 日本で最初の磁器を製造したといわれている。 伊万里の名は、江戸時代に伊万里津をえて船で搬出されたことによる。 有田、伊万里、波佐見(長崎県)などで焼かれた肥前の磁器は、江戸時代には積み出し港の名を取って「伊万里」と呼ばれていた。現代でも、美術史方面では「伊万里」の呼称が多く使われている。「有田焼」と「伊万里焼」とはほぼ同義と考えられるが、「有田焼」は佐賀県有田町で生産される磁器を指し、「伊万里焼」はやや範囲を広げて肥前磁器全般を指すという考え方もある。 伊羅保釉 (いらぼゆう) / 陶磁器用語伊羅保釉は 一般に、木灰と黄土もしくは木灰と来待石で調合される釉薬で、焼成すると黄色や褐色になる。伊羅保釉は、『いらぼゆう』または『いらほゆう』言う。呼び方はどちらでも良い。 例 ![]() 伊羅保釉花瓶 ![]() 伊羅保釉菓子鉢 色絵 (いろえ) / 陶磁器用語軟質の色釉による、上絵付けのこと。有田焼や久谷焼などの磁器に多いが、陶器にもあります。色見 (いろみ) / 陶磁器用語窯で焼成するやきものと同じ土、同じ釉で、小さな物体をつくり(形はいろいろ)窯の色見穴などの近くにおき、焼けた頃合いを見計らい、引き出して焼け具合をみるためのもの。 石はぜ (いしはぜ) / 陶磁器用語素地のなかに入っていた石が、焼成中にはぜて(爆発したものではなくて、粘土中から押し出たような感じ)、一つの景色となったもの。 わび、さびに通じる。 本来は、傷物として廃棄されますが全体として見て雰囲気の良いものは珍重されます。 石皿 (いしざら) / 陶磁器用語近代まで茶屋の煮染め皿として用いられた。陶器質もしくはF器質で、地色が多少あり,呉須(ごす)や鉄砂(てっさ、てっしゃ)の淡彩で粗画が描かれている。 糸底 (いとぞこ) / 陶磁器用語本来はロクロ成型後、シッピキ(切り糸)で切り離した渦状の跡のついている底をいうが、一般の陶磁器の底を指しても言う。 糸尻ともいう。 石見焼 (いわみやき) / 陶磁器用語元々石見では窯業が盛んで、特に水瓶は北前船を使って全国津々浦々に出荷された。18世紀の中頃には周防国や備前国から本格的に技術を学び、陶器製作に磨きを掛けた。 そして、明治になって多くの窯元が藩からの庇護を失って衰退する中で、石見焼は最盛期を迎えた。その頃の窯元は100を優に数えたといわれる。その躍進を支えたのが大甕である。石見焼の甕は耐水性に優れ、貯水には最適であったため全国から需要があった。 しかし昭和30年代に入ると、上水道の整備に伴って水を貯蓄する必要性が減り、またプラスチック製の容器普及が追い打ちを掛けて衰退した。窯元は一気に激減したが、その後は時代に合った容器を作ることで対応していった。代表的なものが漬物や梅干し、味噌貯蔵用の小口の瓶で、石見焼の特長である塩分、酸、アルカリによる腐蝕への強さが功を奏し、これらのヒットもあって苦しい時代を耐え抜いた。現在は傘立てやマグカップなども製作し、伝統的な意匠、技術を継承しながらも、時代の変化に対応した商品を焼き続けている。 平成6年に国の伝統的工芸品に指定された。 海成粘土 (かいせいねんど) / 陶磁器用語かつて海だった場所で、高温でなければ熔けなっかった海底の土(細かい土や微生物が堆積したもの)が、塩分や硫黄などの 影響で耐火度が低くなり、その後地上に露出したもの。 柿釉 (かきゆう) / 陶磁器用語鉄釉の一種で、酸化焼成により赤褐色を呈する。釜 (かま) / 陶磁器用語茶の湯の釜は古来より4つに大別することができます 1.芦屋(あしや) 2.天明(てんみょう) 3.京釜(きょうがま) 4.関東釜(かんとうがま) 茶の湯の釜が盛んに作られるようになったのは、室町時代以降で、当時は金属(唐銅)で型に鋳込んで作られたようでした。 その鋳造を始めたのが、九州筑前の遠賀川流域の芦屋の釜師であったところから芦屋釜は、茶の湯の釜の代表的な 存在になりました。 当窯の釜は 1の芦屋のタイプで『霰真形釜(あられしんなりがま)』と呼ばれています。 ![]() 窯道具 (かまどうぐ) / 陶磁器用語匣鉢(こうばち)または さや、さや鉢ともいう。棚板、ツク(あし)など、棚板とあしを組み合わせて窯を積むときの 道具類。耐火度の高いカーボランダムでできている。 窯の種類 (かまのしゅるい) / 陶磁器用語燃料を基準にすれば 1 薪窯 2ガス窯(LPガス、ブタン) 3灯油窯 4重油窯 5電気窯 6 七輪 形状を基準にすれば 1 のぼり窯 2穴窯 3蛇窯 4トンネル窯 などがあります。 カメ板 (かめいた) / 陶磁器用語ロクロの上に置く小板のこと。大きな作品を成型のあと、板ごと移動しそのまま乾燥させることができる。正方形の四つ角を切り落としたものが一般的だが丸い板と呼ばれる円形のものもある。 還元焼成(かんげんしょうせい) / 陶磁器用語炭素が多く,酸素が欠乏している不完全燃焼の炎で焼成すること。赤黒い炎に見えます。単に、還元とだけいうことのほうがおおい。 【RF】と略称する。 カンナ (かんな) / 陶磁器用語鉄製の帯板でできた道具の総称。多くは成型時の削りしあげの時に使用される。両端が鉤型にまがったカンナが多い。 カオリン (かおりん) / 陶磁器用語磁器の原料になる粘土のこと。長石の結晶体が風化分解してできる。唐津 (からつ) / 陶磁器用語佐賀県西部から長崎県北部で焼かれた朝鮮系の陶器。 室町時代末期頃に始まり、文禄、慶長の役のさい、器かした朝鮮陶工によって蹴ロクロ(けろくろ)や登り窯が伝えられ発展した。 カルシウム(かるしうむ)銀白色の金属。 元素記号はca。 アルカリ土類金属の一種で釉の媒熔作用がある。笠間 (かさま)茨城県笠間市で焼かれた陶磁器。安永年間(1772〜81)に、久野半左衛門が信楽の陶工長右衛門を招いて開窯した。後に、蕃窯となった。 土瓶や甕(かめ)、壺などの日用雑器が主である。 蹴ロクロ (けろくろ) / 陶磁器用語足で蹴ってまわすロクロのこと。地方によって、ひとによって、右回転、左回転がある。電動ロクロができてからは、主役の座を明け渡したが 蹴ロクロも味があり現在でも使用している、陶工や作家も多い。 例えば、湯飲みなどを何千、何万と作るにはやはり電動ロクロのほうに分があるといえるかもしれない。 他に、手まわしロクロやロクロにロープをかけて引っ張って回すロクロなどがある。 化粧土 (けしょうつち) / 陶磁器用語エンゴーベともいう。焼き上がった後の外観を白く見せるため、まだ生のときに生地のひょうめんに薄くかける白色の陶土のこと。 現在では 白色だけでなく、黒、水色、緑などさまざまな色がある。 来待釉 (きまちゆう) / 陶磁器用語島根県の来待で産出される珪長石質の石を主成分とする。 褐色の釉になる。島根県では、瓦や水かめの釉に用いられてきた。 金液 (きんえき) / 陶磁器用語金の合金を油に溶かしたもの。黒褐色の液体で、直接筆にとって上絵付けに使う。金油を足して、濃度を調節する。 金襴手 (きんらんで) / 陶磁器用語色絵や染付けのあと、金箔を焼き付けたり金泥(きんでい)で文様を描いた金彩色絵磁器のこと。中国の明時代の景徳鎮において作風が完成し、日本でもこれを模倣したものを『金襴手 (きんらんで)』という。金継ぎ (きんつぎ) / 陶磁器用語破損したものを、漆(うるし)や接着剤で修復し、その上に漆をぬり、金を蒔(ま)いたもの。またはその技法のこと。 京焼 (きょうやき)京都で焼かれた近世以降の陶磁器の総称。楽焼は、楽家が創始したもので抹茶茶碗を専門に制作している。 黄瀬戸(きぜと(きせと)) / 陶磁器用語桃山時代に美濃で焼かれた黄色の陶器。軟質の淡い黄色釉を施し、タンパンと呼ばれる銅で緑の斑紋をつけたものが多い。灰釉に、1〜2パーセントの酸化鉄を加えると 黄色くてざらついた感じの釉面になる。 粉引 (こびき、こひき) KOBIKI KOHIKI kobiki李朝陶磁の装飾技法の一つ。白泥の化粧が、粉をまぶしたように見えることからこの名がついた。 例 焦げ (こげ) / 陶磁器用語普通焼き締め陶は、サヤに入れずに焼くので炎や灰の影響により表面が荒れたり黒く焼け付いたようなあとになることがある。その黒く焦げた状態を『焦げ』という。黄瀬戸でも陶器の表面に表れた 灰かぶり状の窯変のことを『焦げ』という場合がある。黒や緑の褐色になることもあり、景色の良いものは見所の一つになる。 ![]() 高台 (こうだい) / 陶磁器用語高台は、例えば湯呑みでいうとテーブルに接する部分の丸い輪のところです。 高台は 砥石や布目のサンドペーパーでなめらかにしておくべきです。 普通は、陶器家ややきものを出荷した工場が責任を持ってやっておりますが、たまに高台の処理を忘れたものがありますので、どこで買われてもかならず高台をチェックするくせをつけましょう。また、高台どうしをこすりあわせるのは厳禁です。 両方の高台が欠ける場合があり、悲しみが倍増しますのでやめましょう。 ご使用になるときに一番大事な部分ですので、高台の処理もまともにできていないような陶器家や食器メーカーのものは買うべきではありません。 九谷焼(くたにやき) / 陶磁器用語九谷焼(くたにやき)とは、石川県南部の金沢市、小松市、加賀市、能美市で生産される色絵の磁器である.古九谷青や緑を多用した華麗な色使いと大胆で斬新な図柄が特色の「古九谷」と呼ばれる初期色絵作品群の産地については、1960年代頃から「九谷ではなく佐賀県の有田で焼かれたものである」という説が主張されはじめたが産地問題はいまだ決着を見ていない。新九谷明治時代に入り、九谷焼は主要な輸出品となり、1873年のウィーン万国博覧会などの博覧会に出品されると 同時に西洋の技法も入り込んだ。1872年頃から型押しの技術が九谷焼にも取り入れられ1892年頃から、獅子を始めとする 置物の製作が盛んとなり、大正時代になると型が、石膏で作られるようになり量産化が進んだ。 また、明治維新による失業士族の授産施設として1872年(明治5年)に誕生した金沢区方開拓所製陶部は、砂子吉平、初代諏訪蘇山等の参加を得て成果を上げ、1876年(明治9年)には、石川県勧業場と名を改めた。1887年(明治20年)金沢工業学校(現在の石川県立工業高等学校)が開校し、次代の陶器家が育成されるようになった。作風飯田屋風 天保の頃、宮本屋窯の飯田屋八郎右衛門が焼いた赤絵のものを赤九谷とも言う。古九谷風 赤・黄・青(緑)・群青・紫の五色を使った重厚な構図が特徴である。 木米風 赤地の上に中国風の人物画が描かれる。 吉田屋風 古九谷風で使われる五色のうち赤色を使わない。 現代の九谷焼作家二代浅蔵五十吉 (あさくらいそきち,1913年-1998年)文化勲章受賞者吉田美統 (よしだみのり,1932年-)重要無形文化財保持者(人間国宝) 三代徳田八十吉 (とくだやそきち,1933年-)重要無形文化財保持者(人間国宝) マイセン窯(まいせんがま) / 陶磁器用語マイセンは西洋白磁の原点として、名実ともに頂点に君臨するドイツの名窯。東洋からもたらされた白磁は、当時の西洋社会では憧れの芸術品であった。各国が競ってその製造開発に乗り出し、ザクセン王国も錬金術師ヨハン・フリードリッヒ・ベトガーにその研究を命じた。かくてベトガーは1709年に、白磁の製造に成功し、西洋初の白磁として、その歴史を歩み出すことになる。 以後、1710年に「王立ザクセン磁器工場」が設立された。これが現在の「国立マイセン磁器製作所」の前身である。 マイセン窯の代表作 「ブルーオニオン」 「インドの華」 益子焼(ましこやき) / 陶磁器用語益子焼(ましこやき)とは、栃木県芳賀郡益子町周辺を産地とする陶器。 益子焼の職人になるには、最低10年間要すると言われる。 江戸時代末期、笠間で修行した大塚啓三郎が益子に窯を築いたことに始まるといわれる。 1979年、通商産業省(現経済産業省)に、伝統的工芸品に指定された。 益子焼の著名な陶器家 濱田庄司 島岡達三 合田好道 民芸(みんげい) / 陶磁器用語日常的に使われる実用品のこと。元は民衆的工芸の略。1925年、柳宗悦を中心とし、陶器家河井試沽Y、濱田庄司らによって提唱された造語。 流し掛け(ながしがけ) / 陶磁器用語釉などの掛け方の一種。 ひしゃくなどを使って器に流す掛け方。生掛け(なまがけ) / 陶磁器用語素焼き前の状態の素地に、化粧土を掛けること。 粉引ではよく使う手法。掛け時とわきまえないと溶けてしまうので注意が必要。 粘土(ねんど) / 陶磁器用語粘土(ねんど)とは、非常に細かい粒子でできた堆積物のこと。土質力学の統一分類法においては粒径(粒の大きさ)が5μm以下の土とされる。これより大きいものはシルトとよぶ。 粘土には、大きく分けて 赤土と白土があります。 赤土は、鉄分の含有量が多い土白土は、鉄分の含有量が少ない土 ということができます。 赤土には、黒、緑、黄、赤などさまざまな色のものがあります。同じように、 色が付いていても鉄分の含有量が少ないという 意味で白土といいます。厳密な意味では、地方差や個人差があるかもしれません。 練り込み(ねりこみ) / 陶磁器用語2種類以上の土を完全に混ぜないで、成形していく技法。 登り窯(のぼりがま) / 陶磁器用語斜面を利用した窯の形態。斜面にいくつもの窯を重ねて、その一番下を焚き口とする。下から焚いた熱が順に上の窯に伝わっていくため、大量焼成を可能にした。 野焼き(のやき) / 陶磁器用語地べたで焼く方法。日本では縄文・弥生時代で焼成されていた方法。もっとも原始的な方法ですが、窯のない時代にはこれが一番早くて簡単な窯たきでした。 尾形乾山 (おがたけんざん) / 陶磁器用語1663〜1743年。京都の陶工、光琳(こうりん)の弟。仁清(にんせい)の技を学び、京都の鳴滝に開窯。独特な絵画文様の絵付けで、額皿や手鉢など優れた作品をのこした。 乾山の名は2代、3代と受け継がれていった。6代乾山(1851-1923年)はバーナード・リーチの師。 (現在、陶器家山本如仙が8代目を称しているという) 尾形乾山の代表作花籠図(福岡市美術館、重要文化財)金銀藍絵松樹文蓋物(きんぎんあいえ・しょうじゅもん・ふたもの)(出光美術館、重要文化財) 銹藍金絵絵替皿(さびあいきんえ・えがわりさら)(根津美術館、重要文化財) 御深井 (おふけ) / 陶磁器用語尾張徳川家の御用窯。 祖母懐土という 緻密な土と透明感のある灰釉が特徴。 追い焚き (おいだき) / 陶磁器用語磁器の焼成時、900℃前後から、中性炎から還元炎で焼成すると、肌が青味をおびる(土や釉中のわずかな鉄分が発色)。その焼成の方法。攻め焚きともいう。 鬼板 (おにいた) / 陶磁器用語褐鉄鉱(かってっこう)の一種。志野や織部などに鉄絵として もちいられる。粉末状にして、水にといて使う。 織部 (おりべ) / 陶磁器用語桃山時代の茶人、古田織部の好みにより焼かれたといわれる美濃の陶器。 緑色の釉薬をさすことが多い。 色釉、文様、形状にモダンで複雑な技巧を凝らし、黒織部、青織部、絵織部などがある。 織部釉 (おりべゆう) / 陶磁器用語銅青釉で、酸化焼成により緑に発色した釉薬。 酸化銅を、3〜5パーセント添加する。黄土 (おうど) / 陶磁器用語含鉄土石の一種で、鉄分を多く含んだ黄色い土。六古窯(ろっこよう) - 陶磁器用語六古窯とは、鎌倉室町時代から休むことなく生産し続けている陶器の生産地のこと。瀬戸、常滑、越前、備前、信楽、丹波のことをいう。 酸化銅 (さんかどう) / 陶磁器用語一般に酸化銅と呼ばれているものは、酸化第二銅(2Cuo)のこと。酸化焼成で青や緑色に、還元焼成で赤色に発色する。 酸化焼成(さんかしょうせい) / 陶磁器用語窯のバーナーに十分な酸素を送り、完全燃焼させた炎で焼成すること。【OF】と略称する。 酸化焼成の例 酸化鉄 (さんかてつ) / 陶磁器用語一般的に酸化鉄とよばれているものは、酸化第二鉄(Fe2o3)のこと。着色原料として、釉や土に添加され、酸化焼成で黄色から赤褐色に、還元焼成で灰色から青緑色に発色する。 石州瓦 (せきしゅうがわら)地球に瓦が誕生したのは、中国は西周(紀元前11〜8世紀)の末期、今からおよそ2800年前の事です。日本には、崇峻天皇元年(588年)、百済国より仏教とともに伝来、飛鳥寺建設の時、日本初の瓦葺き屋根が誕生しました。 爾来今日まで1400余年、瓦は日本を代表する文化の一つとして成長してきました。 石州瓦は、飛鳥時代の石見国分寺の建立に始まり、江戸時代初期、浜田城築城と城下町建設に造られたのが 基盤となりました。 江戸時代の中期、雲州地方の来待石(現在の八束郡宍道町)からとれる釉薬を使うことで、石州瓦独特の“赤瓦” として注目を浴び、山陰はおろか北前船によって北陸から北海道にも運ばれていきました。 今でも山陰地方には赤瓦の町並みが連なり、この地方独特の風情と景観をかもしだしています。 そして現在、石州瓦は日本三大産地の一つとして、西日本を中心に大きく発展しています。 それは石州地方に豊富に埋蔵された良質の陶土と、その陶土に挑み続けてきた多くの職人たちの匠で技で培われた 伝統によって成し遂げられました。 今日、石州瓦は、原土処理からプレス(成型)、乾燥、施釉薬、焼成、検査にいたる生産工程すべてが機械化自動化 され、品質面、供給面でより高度で安定した生産システム、新技術が導入されています。 そして耐震、耐風、防水等いわゆる防水性を向上させた防災瓦や、和風、洋風など景観性を考慮した新型製品 (S型・平板等)の開発も盛んに行われています。 (石州 - せきしゅう - 島根県の西部地方は昔 石見の国 いわみのくに と言われていたのでそこから - せきしゅう - という) F器(せっき) / 陶磁器用語せっきと読む。英語の"Stone ware"の訳語という。窯を使い、焼成温度は1200〜1300度。「焼き締め」ともいう。施釉はしないが焼成において自然釉がかかるものがある。また焼成において火襷(ひだすき)、牡丹餅などの模様が偶然ときとして作為的に現れることがある。原料に鉄を多く含んでいるため、赤褐色か黒褐色をしている。 軽く打つと澄んだ音がする。吸水性はほとんどない。 代表例は備前焼や常滑焼など。 古墳時代に朝鮮半島からもたらされた登り窯を用いて焼成する須恵器が起源。ただし常滑、万古の朱泥、紫泥は別系統で中国の宜興が元である。またウェッジウッドのジャスパーウェア、ブラックバサルト、ロッソアンティコなど「ストーンウェア」も当然F器である。 辰砂釉 (しんしゃゆう) / 陶磁器用語石灰釉に、酸化銅を1〜2パーセント添加して 強い還元で焼く。全体が真っ赤になる釉。紅釉、銅紅ともいう。また釉下に酸化銅で文様を付ける絵付け技法のことを釉裏紅(ゆうりこう)という。焼成はとても難しくなかなか真っ赤には焼けないので、辰砂の作品はとても貴重なものです。 ![]() 下絵付け (したえつけ) / 陶磁器用語釉薬をかける前の生地に べんがら、呉須などの下絵の具で絵柄をえがくこと。それから、透明釉をかける。自然釉 (しぜんゆう) / 陶磁器用語施釉していなくても窯の中で燃料の薪の灰がふりかかったものが熔けてガラス化したものをいう。伊賀焼、備前焼に多い。 耐火度(たいかど) / 陶磁器用語ある物質が、どこまで火に耐えられるかという度合い。やきものの世界では、釉薬や粘土のことをいう。例えば、花瓶を焼いたとして1400℃でペシャンコになったとしたらこの粘土の耐火度は1400℃、ということです。 (粘土の名前の数だけ耐火度があります。 ) 普通はここまで焼きません。なぜなら、釉薬も棚板に流れ着いてしまい グチャグチャになるからです。 普通陶器の焼成温度は1250から1300℃前後ぐらいのものです。 あとはここまでにかける時間の問題で、釉薬の種類や表現方法や作者の意気込みによって変わってきます。 棚板 (たないた) / 陶磁器用語窯道具の一種で、ツクと共に使われる。表面には、アルミナが塗ってあり作品がくっつくのを防いでくれる。 手びねり (てびねり) / 陶磁器用語ロクロを使わない作り方。まず作品の底の部分をつくり、側になる部分を粘土をひも状にころころと伸ばして一本ずつ積み上げていきます。 一段積み上げるごとに、中と外をなめしていきます。目的の高さになったら、ふちの部分をきれいにして完成です。 一品ものはこのようにして作ることがおおいようです。 なぜなら、作者の自在な意思を反映できるからです。 陶器(とうき) / 陶磁器用語カオリナイト(カオリン)を含まない粘土を原料とし、窯で1100〜1300度の温度で焼いたもの。釉薬を用いる。透光性はないが、吸水性がある。 厚手で重く、叩いたときの音も鈍い。粗陶器と精陶器に分けられる。 瀬戸焼、伊賀焼や大谷焼などで知られている。 ツク (つく) / 陶磁器用語窯を積むときの窯道具の一種で、棚板(たないた)を水平に置きその上に 3箇所ツクを置き棚板と交互にうえに積み重ねる。カーボランダムでできており、粘土や釉薬よりはるかに耐火度が高い。 上絵付け (うわえつけ) / 陶磁器用語本焼きしたあとに、赤、黄、緑、紫の上絵の具で、文様を描き、再び低火度で焼くこと。下絵付けは、赤、青、茶、黒、黄、白色などに限定されるが上絵付けにより豊富な色彩が得られる。 柳宗悦(やなぎそうえつ) / 陶磁器用語1914年中島兼子と結婚。柳兼子は近代日本を代表する女性声楽家(アルト)。 バーナード・リーチとの交友も知られる。1919年3月1日に朝鮮半島で勃発した三・一独立運動に対する日本政府の弾圧を批判。同時に、朝鮮美術(とりわけ陶磁器など)に注目し、当時殆ど省みられることのなかった朝鮮の陶磁器や古美術を蒐集する。1924年ソウルに朝鮮民族美術館を設立。 朝鮮の文化にも深い理解を寄せ、京城(現・ソウル)において道路拡張のため李氏朝鮮時代の旧王宮である景福宮の光化門が取壊されそうになるとこれに反対する評論を書いた。これが大きな反響を呼び、光化門は移築、保存された。 木喰上人、妙好人の研究を行う。 仏教(禅)学者の鈴木大拙は学習院高等部時代の柳の英語教師。 1936年、東京(目黒区駒場)に日本民芸館を設立する。 工業デザイナーの柳宗理(長男)、美術史家の柳宗玄(次男)、園芸家の柳宗民(三男)は息子。 ゼーゲル錘 (ぜーげるすい) / 陶磁器用語本焼成をするときに、窯の中の見やすい所に置く三角錐の粘土でできたもの。ゼーゲルコーンともいう。これを置くことによって、ある一定の熱量を受けたときの焼け具合がわかる。 使い方は、窯のふたののぞき穴から見えるところに、あらかじめ置いておき、ほぼ焼けたところで目視にてゼーゲル錘の 倒れ具合をチェックする。 SK番号 熔倒温度(℃) 05a 1000 04a 1020 03a 1040 02a 1060 01a 1080 1a 1100 2a 1120 3a 1140 4a 1160 5a 1180 6a 1200 7 1230 8 1250 9 1280 10 1300 11 1320 12 1350 13 1380 14 1410 15 1435 16 1460 17 1480 ゼーゲル式 (ぜーげるしき) / 陶磁器用語ゼーゲル式は、釉調合の学習において必要なものです。 基本的には、RO?xAl2O3?ySiO2 のような形で表されます。 (式の中の ROは塩基性成分を、Al2O3はアルミナを、SiO2は珪酸を表します。 この式が示されていれば、長石、石灰石、珪石などの配合量が計算によって求めることができるようになります。 釉薬によってそれぞれ ゼーゲル式は違います。 厳密にいうと ゼーゲル式をもとに釉薬を復元しても似たものではあるがまったく別物だと思ったほうが間違いありません。 ゼーゲル式を使うことの利点は、この表記に慣れれば釉の性質などもわかる場合があるということでしょうか。 磁器(じき) / 陶磁器用語融解してガラス化しやすい長石が主成分を成している磁土を原料とする。磁器の素材は焼成中に高温で融解しつつ、ムライトと呼ばれる針状鉱物結晶を生成するため、成分の多くが融解しても形状を維持し続け、ガラス質の器質となる。 焼成温度は1300〜1500度で、釉薬を使う。 磁器が発明されたのは11世紀の北宋と言われ、景徳鎮が産地として特に有名。また早くから高麗に焼成技術が伝わり、青磁が作られた。 日本では豊臣秀吉の唐入りで、朝鮮半島から連れてこられた陶工が肥前で焼いたことから製作が始まる。 この日本式の磁器は朝鮮半島出身の陶工が九州で発見した、単独で可塑性と磁器化する能力を持つ陶石の粉末を原料とすることに特徴がある。彼らは機密保持のため束縛をうけたが、またそれと共に士分を与えられ厚遇された (現地では儒教的社会観から商工業者の身分は低かった) ので、家族や縁者も呼び寄せ、以後日本の磁器生産が盛んになる。 積み出し港の名から伊万里焼と呼ばれた肥前磁器は、江戸時代後期まで日本唯一の磁器生産地として隆盛を極め、またデザインを朝鮮半島風から中国風に切り替え、金襴手や酒井田柿右衛門による赤絵、濁手が生まれ、明末清初の混乱で磁器生産が滞った中国に変わる生産地としてヨーロッパにも輸出され、高い評価を得た。また鍋島藩では藩窯として生産を行ない、美しい作品が作られた。やがて江戸時代後半には磁器焼成は九谷など各地に広まり、瀬戸等で大量に生産されるようになり、次第に庶民にも磁器は広まっていった。 磁器は半透光性で、吸水性がない。また、陶磁器の中では最も硬く、軽く弾くと金属音がする。焼成温度によって軟質磁器と硬質磁器に分けられる。主な磁器は有田焼(伊万里焼)や九谷焼などがある。英語では、産地名をつけた場合は、陶磁器共通に(産地名+)wareと言うが、磁器自体を指す場合は、porcelainという。 なお、ボーンチャイナと呼ばれる乳白色のなめらかな焼き物は、牛骨を化学処理して得られたリン酸カルシウムと長石が主成分を成している磁土を混合したものを用いた焼き物で、18世紀にミントンが発明した。現在、日本にてボーンチャイナに使用される粘土は有田などが主産地となっている。ボーンは骨の事でチャイナは中国を指すがこの場合は磁器を指す。 焼結前の色は灰色をしており、焼結することにより乳白色へと変化する。 一度焼結したものでも粉砕することにより何度も作成し直す事が可能である。また、焼結後に出来たバリと呼ばれる不要な出っ張りなどはカット後、再度焼結し直すことによりなめらかになることも特徴の一つである。 近年では、原料にアルミナを配合して強度を増した強化磁器が小児向け食器として生産され、環境ホルモン物質の滲出が懸念されたプラスチック製食器に代わって学校給食で採用されている。 |
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