二つの山陰道"多陀寺道"-近世の往還道

使命を終えた-浜田と下府を結ぶ大切な街道TUを見る

現在の龍泉寺(分岐地点は右手前)

左いづも右ひろしまの石碑(資料館)

ふるさと歴史紀行の会による報告(再構成) 文責(五月の緑)

【一、多陀寺道までの道】
殿町の現図書館前に内堀があり大手門があった。参勤交代の時には城下を廻って(中紺屋-三重-牛市)田町龍泉寺で家族家臣の別れをし、江戸へ向けての道を辿った。田町龍泉寺近くの万灯山西端が街道の分岐地点だった。まっすぐ浜田駅前に向うのが出雲へ向かう山陰道で、琵琶町を通り浜田川を遡る道が中国山地の峠を越える芸州(広島)街道だ。

半場旅館横の太子堂

「武道館」前の国道

島根県教育委員会が1997年に発行した「島根県歴史の道調査報告書第五集山陰遣U」によれば、浜田城下から東へ向かう江戸時代の山陰遣は、旧長沢村の神在坂付近で道が二つに別れている。
片方は現JR長沢トンネル付近を通る通称「下府道」。もう片方は多陀寺を経由する通称「多陀寺道」。
報告書によれば道はいったん二つに別れるが、・・下府川付近で再び合流している。(地図@参照)
 ここではH13.9のふるさと歴史紀行の会の報告を元に「多陀寺道」を辿って見る。まず、「下府道」と「多陀寺道」が分岐する「神在坂」(字クラホネ)までの道を歩いて見よう。(地図A参照)

長沢に入る梨田踏切入り口(美越右)

踏切を越え右上に登り9号線を渡る
浜田城下を出て下府-江津方面に向かうには神在坂を越えなければならない。現在の9号線は車の通行を目的とした長い坂道である。人が歩く道筋ではない。浜田駅前を通り、丁度武道館の前辺りで緑ヶ丘県営住宅を目がけるように登り、再び長沢に降りていく。長沢を川に沿って歩き、真行寺谷辺りから神在坂を一気に登っていた。現9号線より生湯よりのルートをとっていた。(右下地図参照)

短いが古道の雰囲気のある坂道

振り返って浜田駅方面を見る

緑色が9号線 赤色が城下から長沢-神在坂に向かうルート

二反田へ出る道の先に古道がある

現在の9号線の位置にあった

ここから長沢に下って出る

二反田へ出る現在の道と繋がる

三郷(橋)右向うが旧青木屋

右側の写真の「三郷(屋号)」(橋)を旧青木屋の方に向かって行く。三叉路にあり、かつては水車小屋もあり茶屋もされていたという。裏を川が流れている。左へ行けば二反田、外ノ浦へ続く。右へしばらく進むと又二股に分れている。

左二反田(S46)、右が往還(至神在)

藤松の分岐にある太子堂

左に登っているのは開発された二反田に続く新しい道。昭和46年頃できたもの。長沢川に沿うように右に進むと小さな太子堂がある。ここが「才ヶ峠」の石畳道に続く三次往還道との分岐点だ。線路に向かって川を渡り現在の菅原団地、真行寺前付近を通り、現在の9号線「ココ」「イエローハット」辺りに登っていた。神在坂のクラホネ(鞍骨)に向かう道は、右に曲がらず太子堂の前を直進する。藤松の分岐と言うが、藤の巻きついた松の木があり「藤松」茶屋があった。太子堂も畳一畳の部屋があり一夜を過ごす旅人もいたと言う。太子堂左の石碑は泰雲院殿(芋碑)で丁度線路の向う辺りにあったものだ。

土橋から見る

藤松茶屋(高下)跡

長沢川(この辺りの人は福の神川という)に沿ってしばらく進む途中、川岸の上には地蔵もあった。二反田方面に登る赤道もあり、古道の雰囲気が残っている。菅原団地から二反田に架かる菅田跨線橋の下を進んで神在坂踏切を渡り線路の右に出ると長沢トンネルの入り口も見える。地蔵も3,4ヶ所あり、トンネルの上の神在(神原)に向かって道が登っている。

沢の右側を進む

川向いの地蔵

この川は福の神川という

菅田跨線橋の下をくぐり

神在踏切を渡る

無人で遮断機も無い神在坂踏切の左側を流れる福の神川(長沢川-浅井川に続く)の左側には、かつて「ひ病院」があった。この辺りを梨の木谷という。大正10年にトンネルができ鉄道が開通した為に川筋や地形が変っているかも知れないが、確認出来ない。

線路の右側に渡り道は続く

お地蔵さん

線路の向かい側の『行者堂』

役の行者

地図A
長沢トンネルの左側の奥には、行者堂がある。10数年前、雨もりがひどくなり、現在の小型のものが建てられたと聞いた。以前は畳二畳の広さがあったという。一本歯の高下駄をはいた行者の浮き彫りの石がある。現田町「Y精肉店」の人が毎日拝みに来ていた、と藤松茶屋前に家のあった池田貞子さん(78歳旧姓辻野)は話しておられた。今は容易に渡れないが川を越す橋があったのだろうか。

原金谷川

丁度長沢トンネル西口が見え出す所に、日産サニー付近から流れて来る谷川がある。そこにも道があり、日産サニーを通り、9号線の左側を行き「オザキ」という元ケーキ屋の裏から才ヶ峠に続いていたと言う。(前出池田、高下談)「はるきんだに」、と発音されていた。

長沢トンネル西口の右から登る

左手から新道を越えて右手前を登る


 長沢トンネルの上を斜めに横切って少し登れば、二反田に続く新しい道と出逢う。ついついそこを歩いてしまいそうになるが、よく見ると左の竹薮に道が続いている。そこが「坊主がえき(土編に谷と書く)」と呼ばれた山道である。途中には段々になった田圃あとが続き風情のある坂道だったろうと思われる。現在は通りにくい。竹薮を抜けると三叉路、鞍骨に出る。現在の教育センターの裏近くだ。手前に地蔵、出口に六地蔵がある。大阪屋茶屋跡も確認出来る。大正10年トンネルの開通時、井戸も使用不可能でもあり旧国道に移られたという。大阪さんはハゼ栽培をしローソクを作って売っていたので「ローソク屋」と呼ばれていたそうだ。(宇野正一著『長沢郷の思い出』亀山17,18収録)

右森から教育センター裏の道に出る

字クラホネ「鞍骨」

六地蔵の中央にひときわ高い台座がある。「右下府道」「左多陀寺道」下に「国府道」と彫ってある。この先に「鞍骨」という屋号の中山キヌさん宅があり、手前で右に分岐する「下府道」が残っている。この辺りは「クラホネ」という小字が付いていた。前出の池田さんの言によれば、ここで侍が馬を殺して埋めたので「鞍骨」と呼ぶようになった、という。ここからが多陀寺に続く道である。

分岐をしるした地蔵堂

無線局(S34)の為に舗装してある

参考文献
「亀山」17,18号 【長沢郷の思い出-(一)(ニ)】宇野正一
島根県教育委員会 【歴史の道】DH
島根県教育育委員会 【歴史の道調査報告書第五集】(山陰道V)
史跡探訪会【浜田の歴史と伝承】第4号

地図@

「左多陀寺道」の字
2001.10.16
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