牛突き紀行 ◆牛突きのあるまち◆
【徳之島編】牛と人との魂の響きあい 徳之島「牛オーシ」

徳之島の子供たちは、牛の角に見たてた棒きれを両手に持ち、闘牛ごっこをして育つという。
奄美諸島の大自然に育まれながら、逞しい精神と肉体を作り上げるこの島では、闘牛に賭ける島の人々の情熱は血となって、脈々と流れているのだ。

徳之島では、闘牛を「牛オーシ」と呼ぶ。牛オーシとは、牛の闘い、喧嘩の意味。いかにも徳之島闘牛の激しさを表現している。
起源は定かではないが、砂糖地獄といわれた薩摩藩の圧政で募った農民たちの心情を、熱狂的な娯楽で晴らしたというのが一説にある。南国特有の開放的かつ情熱的な島の人々の気質に、この「牛オーシ」は見事にはまり、以来、島の唯一最大の娯楽として浸透していったことは間違いない。
現在、島内には13カ所の闘牛場があり、正月、5月、10月の本場所と、地方場所を合わせると年20回以上開催されている。闘牛場は常に満員。本場所ともなると、軽く5,000人が集まってくる。わずか人口3万人の島での5,000人、である。その数の凄さたるや、半端ではない。

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島を歩いていると、夕方、さとうきび畑の間を牛を連れて歩く少年に出くわした。至極当たり前の、日常的な光景だそうだ。卒業文集の将来の夢に、「横綱の牛をもつ」と書く子供が、今でもごく普通にいると聞いて納得した。
徳之島では、闘牛をもつことがステイタスであり、一家一門の誇りであるという。たとえ本土で成功しても、闘牛をもたないと、成功したことにはならないというのだ。それだけに、島一番のトゥレウシ(ケンカ牛)を育てることは島の人々の夢。牛主たちはトゥレウシを手に入れるために、全国にスカウトの網を張り巡らし、いい牛の情報が入るとすぐに飛んでいく。そして、強いトゥレウシに育てていくために精魂を傾ける。
島には現在、推定800頭の闘牛がいるといわれ、この数は沖縄と並んで全国の闘牛開催地のなかで群を抜いている。

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会場はすでに、煮えたぎるような熱気が充満していた。徳之島の「牛オーシ」は沖縄と同様に、最初引き綱をつけたまま闘わせ、闘いが激しくなり佳境に入ってくると、鎌で引き綱をかき切る。そして、必ず勝負をつけるのだ。
1トンクラスの全国から集められたそうそうたる豪牛同士のぶつかり合いは激しさを極め、牛が動くたびに地響きが伝わってくる。体感する生の迫力は、想像を遥か超えていた。観客の興奮はみるみる高められ、勝負がついた瞬間、嵐のような大歓声が湧き上がった。
ラッパや島太鼓(チヂン)を打鳴らしながら、一族郎党、友人、ひいき筋が男女を問わず、「ワイド!ワイド!」と叫び、勝ち牛の回りで乱舞する。「ワイド!ワイド!」とは、「わっしょい、わっしょい、よくやった!」の意味。
徳之島では、「牛オーシ」の勝利は、一家一族の繁栄の象徴とされる。祖先の霊を慰め、子孫の平安も約束すると島の人たちは信じている

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牛は霊界に通じているといわれる徳之島には、恐らく全国唯一と思われる闘牛の口説(クドキ)がある。
―――徳之島伊仙町の前原坊は、片足は不自由であるが働き者で、牛はわが子同様に愛し、寝食をともにするくらいであった。ある日、役人から、お前の牛の対戦が決まったとのお達し。相手は名だたる強豪牛、対する愛牛は無名の貧乏牛。当初はまるで劣勢だったが、こらえにこらえて、前原坊と愛牛との人牛一体となった闘いで、とうとう役人牛を打ち負かした―――。島唄にもうたわれている、この「前原口説(メーバルクドキ)」は有名で、時代を超えて唄いつがれきた。
また島には、「前原口説」の現代版ともいえる「島人の神様」と語り継がれる、名牛伝説も残されている。
特別な存在として牛を昇華させながら、徳之島の「牛オーシ」は文化となり、この島の人々の魂が宿っている。
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