◆ 闘牛あれこれ【雑学編】 ◆
【牛突きの起源】
角をもつ牛は、子供のころから互いに角を突き合わせて遊ぶ。娯楽の少なかった時代、その姿を見ていた人間が、面白がって闘わせることを試みた。どうやら、これが牛突きのはじまり。牛にそなわっている「突く」という本能から、自然発生的に興ったと考えるのが最も有力らしい。古くから牛突きが行われている地に、これといった起源がないのも、こんなことが理由なのだとか。そんな中で、明確な歴史が伝わる隠岐の「牛突き」の起源を紹介しよう。
流人の島として名立たる要人を迎えていた隠岐島に、1221年(承久3)、後鳥羽上皇がご配流になられたときのこと。島前の中ノ島(現在の海士町)の牧畑で、上皇は子牛が角をからませて戯れている情景をご覧になり、ことのほか喜ばれたご様子だった。それを知った里人衆は、上皇の御心をお慰めしようと、強そうな牛を集めて闘わすことに。これが隠岐の牛突きの起源であると伝えられている。
【なぜ牛は闘うのか?】
角をもつ動物は、すべて闘う。闘うために、角がある。闘うことは、角をもつ牛の習性なのだ。元来、牛は他の草食動物と同じく、群れをなして生活する動物。だから、集団の秩序を守る目的で、社会的な順位を決めるために闘う。発情期には、雌を獲得するために闘う。さらに、縄張りを維持するために闘う。雄牛のひときわ強い闘争心は、もって生まれた本能なのだ。しかしこの闘いで、相手を殺すことはない。自分が強いということを、力で誇示することが目的なのだ。
【横綱の登場】
隠岐の「牛突き」に横綱が登場したのは、昭和34年(1959)の八朔大会である。それまでの最高位は大関であった。横綱制度ができて初めて横綱をつとめたのは、都万村那久の大上牛と西郷町池田の笠岡牛である。ただし番付表(取組表)に横綱が載ったのは翌35年(1960)の八朔大会からで都万村都万の柳屋牛と西郷町池田の笠岡牛が東西にランクされている。
笠岡家の三男でガス店を経営する西郷町西町の斎藤政雄さんは、横綱制度ができた当時を振り返って「取組編成会議で横綱に選ばれたものの、肝心の横綱をどうして作ったらいいのか。大相撲の雑誌や相撲取りの写真を取り寄せて参考にした。雲竜型の横綱を作には作ったが、本当の横綱のスタイルにはなっていなかったと思う。勝ち負けはともかくとして、横綱らしい闘いをしてくれるかどうかです…」
(「牛突き覚え書き帖」神村信幸著)
【突時間ベスト3】
戦後の「牛突き」大会で最も長い時間突き合ったのは、昭和24年(1949)の八朔大会での仁屋新屋牛(西郷町近石)と前小原牛(都万村都万)の一戦である。1時間40分闘って、ようやく決着がついた。この一戦は前小原牛が土俵を割って判定負けとなった。
続く第2位は昭和63年(1988)の八朔大会で記録された新栄号(西郷町港町、新牛)と島嵐(都万村都万、大向牛)の横綱戦。島嵐が1時間34分で勝った。
第3位もやはり八朔大会で記録。昭和32年(1957)の沖の華(西郷町有木、垣和屋牛)と大海浪(都万村都万、松本牛)の大関の一番で、1時間19分。
(「牛突き覚え書き帖」神村信幸著)
【「神の牛」と呼ばれた伝説の横綱】
徳之島には、「闘牛の神様」として語り継がれる名牛がいる。闘牛としては760キロと小柄でありながら、1トンクラスの巨牛を翻弄する圧倒的な角さばきで、昭和24年からの13年間に、45勝1敗1分というすさまじい戦績をのこす、その名も実熊牛だ。
徳之島の「牛オーシ」には、大相撲と同様に番付がある。最高位はもちろん横綱で、その中でも最強の牛が全島一優勝旗を保持することができる。実熊牛は、初代の全島一優勝旗を手にした横綱だ。1時間をも持ちこたえる並外れた持久力と、敗走する牛は決して追わない紳士的な姿勢は、まさに王者の貫祿そのものであったという。徳之島闘牛史上、最強のこの名牛を、島人は「神の牛」と称え誇りにした。
【強い牛を育てる】
強い突き牛を育てるには、まず、子牛選びが重要であるといわれる。その条件は、隠岐の突き牛育ての名人いわく、「目が小さく輝いていること。首筋か太く長いこと。足の関節の間が長く太いこと。角が太く長いこと」だ。そして、毎日のトレーニングが欠かせず、30分、1時間と歩かせて足腰を鍛える。道中、牛は土の出た崖に角を押しつけて、角・首・肩などを自ら鍛えるという。もちろんエサやりも大事で、健康に十分注意をはらいながら朝夕2回、適量を与える。たくさん食べれば大きく育つというものではないのだ。
新潟では、飼い主が大切であることを教える言葉に、「厩(うまや)たつ」がある。飼い主によって強くもなり、弱くもなるという意味らしい。土地柄は違っても、強い突き牛を育てるには、愛情を注いで根気よく育てることが、全国に共通する最大の条件だ。
【牛突きのルール】
<勝負>
ほとんどの牛突きは、制限時間を無制限として、徹底的に闘わせて勝敗を決める。
ただし、新潟の「牛の角突き」だけは、勝負づけをしない。両牛が全力を出しきったところで、あるいは、長引いて両牛の動きが止まったところで必ず引き分けさせる。その理由は、牛の角突きが神事として位 置づけられ、勝ち負けよりも鎮守への奉納としての意味があったことが大きいようだ。こうした歴史を背景にもつことから、国の重要無形文化財の指定を受けている唯一の牛突きでもある。


<鼻綱>
最初から鼻綱なしで闘わせるしきたり(新潟・宇和島・沖縄)と、闘いが本調子になったころを見計らって鼻綱を鎌で切るしきたり(徳之島・沖縄)、最後まで鼻綱をつけたままで闘わせるしきたり(隠岐)の、以上3つに大別される。鼻綱をつけたまま人牛一体となって最後まで闘う牛突きは珍しく、隠岐特有の風習だ。なんでも、後鳥羽上皇にご覧いただくのに、危険があってはならないという工夫の名残りであるらしい。


<角の矯正>
突き牛のシンボルともいえる角は、闘いの日に備えて鋭利に研がれ、まさに武器となる。ことに隠岐では、子牛のころから角の先端に開けた穴に針金を通し、両角を内側に曲げて、より勇ましい角に矯正するという。かたや、角にまったく人の手を加えず、自然のままの伸びにまかせるのが、引き分けにこだわる新潟の特徴だ。


<勢子(せこ)>
勢子とは、牛を操る闘牛士のことで、各地方においてその闘いぶりは異なる。勝負がつくまでたった1人で闘う勢子(隠岐)。牛1頭に1人がつくことを原則に、次々と交代する勢子衆(宇和島・徳之島・沖縄)。1頭の牛に13人までの勢子が同時につくことができるもの(新潟)。以上の3つに大別 されている。


【牛突きの基本技】
一見しただけでは単なる力まかせの闘いに映るが、ところがどうして、牛たちは数々の技をもっている。ここでは、隠岐の牛突きを例にあげて、いくつかの基本技を紹介。知れば知るほど、牛突きが数倍おもしろくなる。
●押し(押し合い)
頭と頭を合わせ、角をがっちり組み合って、両牛が力一杯押し合う。
押し(押し合い)
●はらき(向う突き)
真正面から相手の角を左右にはらきながら、額を攻める。
はらき(向う突き)
●あげ
一瞬のすきをついて回り込み、相手の首筋、前足の付け根、さらには脇腹を突きあげる。
あげ
●いない込み(さらい込み)
あげ技を連発して、とどめといえる担ぎ技に移行する。
いない込み(さらい込み)
●ほじり(もみこみ)
向き合ったまま、相手の額や角の付け根をキリモミのように連続して掘る。
ほじり(もみこみ)
●もたし(もたしこみ)
自分の首を相手の頭から首筋にもたせこんで体重をかけ、相手の攻め手を防ぎ、疲労させる。
もたし(もたしこみ)
●ねじり
自分の角の内側を、相手の角の外側にあてがい、内側に力でねじる。
ねじり
●あげもどし
相手の突きを踏みとどまってその技を外し、首を傾けて反撃する。
あげもどし

【世界の闘牛】
闘うことが牛の本能なら、牛と親しむ国に闘牛があるのはごく自然なこと。最も有名な闘牛から、ちょっと笑える闘牛までを、かいつまんで紹介。

世界の闘牛マップ
 スペイン
闘牛といえば、あまりにも有名なスペインの国技。日本との決定的な違いは、牛と人間が闘うこと。そして闘った牛は、勝敗にかかわらず、大観衆の目の前で剣によって突き殺される。

 ポルトガル
スペインと同じ起源をもつといわれる、隣国ポルトガルの闘牛。発祥は同じでも、ここポルトガルでは、闘技場内で牛を殺すことは禁止されている。

 スイス
世界でも他に例をみない、雌牛同士の闘牛がスイスにある。強さはもちろん、分娩回数や胸囲などによって5部門に分けて各々の優勝牛を決定。最終的にその中から1頭の女王牛が選ばれる。

 ジャワ島
闘いの直前、発情した雌牛を見せつけられるジャワ島の闘牛はユニーク。逃げ出した牛が敗者であることには変わりないが、鳴物入りで行われるその様子はおもしろい。

 韓国
韓国の闘牛も日本の闘牛と同様に牛と牛との闘い。三国時代から牧童たちがひまつぶしに楽しんだ遊びが発展したといわれ、千年の歴史をもつ伝統行事。


【参考文献】
「日本の闘牛」 広井忠男 著 高志書院
「闘牛の島」 小林照幸 著 新潮社
「牛突き覚書帖」 神村信幸 著
隠岐絵の島花の島振興協議会
「隠岐の国散歩」 隠岐歴史民俗研究会編
ハーベスト出版
「日本の闘牛」 石井 幹 著
(「畜産の研究」第43巻第12号、
第44巻第1号・第2号)
「島根観光事典」 島根県観光連盟
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