先日、いつもHP登場の後輩Bちゃんと一緒に仕事をする機会がありまして・・・、その時の会話。
(その日は携帯電波も入りにくいある山間部でのお仕事)
二人でトラックに乗り、わたしが運転し川沿いの道を移動中の事でした。
Bちゃん:「あっ!・・・・しまったー・・・・、け・け・携帯の充電忘れとった〜!」
「針が2本しか立ってないわー!」「2本はすぐ電池切れするんだよなぁ〜」
「まぁーしょーがないわー」
(数分後・・・こんな時に限って今から向かう仕事先の鍵を忘れて出ていた!!)
「あっ!・・・か・か・鍵も忘れとったー!!」
「ああそーだ、○○さんに電話して、鍵を・・・・・」
(そこで携帯から電話をするBちゃん)
トゥルルル〜・トゥルルッル〜・・・・・・・ガチャッ!
「ああ、もしもしー○○ですー!おはようございますっー!・・・・・・・・・・・・・・・・
(スムーズに会話が進んでいたその時っ!!)
ブチッ!「あっ!!!・・・・・・・・・・・・・やっぱり切れたぁー」「しょーがない!」
Bちゃん:携帯をゴソゴソ(数秒後なにやらとなりで・・・)
ビュンビュン・ビュンビュン・・・(携帯から電池を取りはずし振っていた!)
ちょ、ちょっとー。使い切る前のマヨネーズじゃないんだから!
(そして、わざわざ電池を取り外さないと見えない本体裏に注意事項が・・・Bちゃんもう一言)
「航空機・医療機関内では電源をお切り下さい・・・・・・」だっ、誰がここまで見る・・・?
最近ふと思うのがこの「まっしゃんな四方山話し」のコーナー。
と言うのが、もともとこのコーナーは笑える話を書くので無く、日々のなにげない
出来事や思いつきをちょっとした日記感覚で書くはずで作ったような気がするのだが・・・?
(日記感覚と言っても性格上毎日はぜったい無理なので思い立った時)
いつしか笑い系がほとんどを占めていた。
これでは「笑えるんだかどーだか」と大差なくなってしまう、と言うよりほとんど
変わりない!
と言うことで軌道修正に入ります。
この前仕事中の事、ある場所に車を止めお客さん宅へ訪問(その間5分くらい)
車を止めた場所に帰ってみると、そこに一人のおじさん。
見た目は普通のおじさんなのだがなぜか私を見て微笑んでいる。
(かるくお辞儀をし車に乗り込もうとする私に)
「あのなー、」(なぜか大阪弁っぽい!)「ここに止めてもかまわんけどな〜、出来ればも少し
右に止めてくれへんか〜(顔は笑っている)このなーゴミ箱の横あたりに寄せてなー」
ああ、分かりました今度からはそーしますので。(乗り込もうとすると)
「いつもゴミ収集車にも言うんやー、寄せて止めってな〜!」
「大丈夫やから、ワシが町内会長にも了解とって有るからなー!」
「右に寄せてあれば大丈夫やからーほんまやでー!」
「文句言われたらワシに言うて来ぃー!ほんまやで〜」(あなたの家知らんしっ?)
「イヤイヤほんまやで〜っ!」(長引きそーなのでそそと車に乗り込みかけると)
「ほんまやで〜、このゴミ箱の横あたりに寄せてなー!いつも収集車にも言うんや〜
右に寄せれって!ほんまやで〜!文句言われたら言ぅーて来ぃー、町内会長にも
了解とってあるからなー、ほんまやで〜」
分かりました、今度からはそー致しますので。(車に乗り込みかける)
「ほんまやで〜ゴミ箱の横に寄せ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「・・・・・・・・・・会長にも・・・・・・・・・・・・・収集・・・・・・・・・・ほんまや・・・・・・・・・
それから5・6回同じ事をしゃべっておじさんは去っていきました。
嘘のようですがホントの話です。
はぁっ!疲れた。・・・ほんまやで〜っ!
落語の住吉駕籠を思い出してしまいました。
軌道修正してないし。
昔からある遊びに「カゴメ」なるものが有るが、そのカゴメで歌う歌詞の中の、
「後ろの正面だーあれー?」
後ろの正面と言う表現になぜか違和感を感じるのは私だけ?
私は中学・高校と汽車通学。
若いし夜ふかしをしていた事も有って寝起きも悪く、いつも駅にギリギリと言う事しばしば。
たまには駅の手前で汽車に追い抜かれたりする日も有るがなんとか滑り込みセーフだったりしたものである。
しかし、年に1、2回はどーしてもアウトになりそーな日も有るが、そこはザ・田舎、一日に数本しかない汽車便
なので運転手さんも走っている姿を見て駅で発車せず着くまで待ってくれてたりするのである。
乗客もほとんど顔見知りなので飛び乗った途端笑って迎えてくれたり。
今思えばありがたい思い出である。
過密ダイヤではなかなか体験出来ないだろーなー。
朝、まだ寝起きで頭がボーッとしてる時にテレビを見たり聞いたりしていると
「みたもんがち」が「みのもんた」に見える。
最近なぜか、見る夢がとてもリアルなんである。
ストーリーがでは無く映像がである。
とても鮮明で生めかしいのである。
そしてそれをなぜか現実の様に覚えているのである。
その代わりストーリーは夢らしく起承転結バラバラである。
今までは、見てもたまに位にしか覚えてなかった様な気がする夢。
起きたら殆んど忘れてしまっていたんであろう夢。
例えばこの前はこんな感じ。
岡の草原に座り、界下を走る機関車を眺めながら、隣に座る人物と会話しながら
大笑いで肩をたたき合っている。
その人物とは「福山雅治」。
そのあまりの仲の良さがうらやましかった、夢から覚めた自分。
学生の頃の話をまた一つ二つ。
中学生時代、なぜか報道部長をしていたわたくし。
ある日、昼休みの生放送中に生活指導部顧問の先生から、「校内放送でこれを読んでくれー!」
と依頼が来た。
それは校内規則違反者に対してのその内容と、違反者には罰として隠れずすみやかに職員室前通路に
正座しなさい!!と書かれてあった。
30分後、通路に正座する違反者達。
・・・の中にわたしの姿が。
自分で自分を呼び出すなんてなかなか経験出来ないと前向きなわたくし。違うか!。
たまたま見たHPでこんな記事が有ったもんで。
【味覚は、料理を楽しむためだけのものではない。
味覚とは、4大基本味といわれる、甘味、塩味、苦味、酸味を感じ取る感覚の事だが、
味覚は料理を楽しむだけにあるのではない。
生命を維持し、なおかつ危険を避けるという大切な役目もある。
乳児には甘味を感じる能力しか無いが、これは甘味が体を成長させるために必要な栄養素と
密接な関係があるから。
次に身に付くのが塩味を見分ける能力で、塩味は、血液中のナトリウムを維持するために欠かせないから。
最後に身に付くのが酸味と苦味だが、これを感じる必要があるのは、この2つの味は有毒物質に含まれて
いる事が多いから。
食べ物を苦いと感じ、反射的に吐き出すというのは、人間が生きていくうえで、極めて重要なことだ。
と、このように、4つの味を識別できて初めて人間は1人前ということになる。
もっとも、歳をとって食通と言われるようになると、魚の腹わたなどの苦い物が旨いと言い出すから、
人間は不思議な生き物なのかもしれない】
と、こんな文書なのですが、前半から中盤は昔なにかで見たか聞いたか?
知っている事だったのでなんの気なく読み流しました。
後半の一節で「年をとって食通といわれるようになると、魚の腹わたなどの苦いものが旨いと言い出すから、
人間は不思議な生き物なのかもしれない」
この一節を読みながらなんとなく自分に当てはめてみた。
歳を取ってと言ぅーのが何歳位のことなのか分からないが、魚の肝などの苦味が好きになったのは確かに
二十歳は過ぎていた、と言ぅーよりお酒を美味しくたしなむ様になってからの様な気がするのであります。
歳もでしょうがその時点での環境と言ぅーのかタイミングと言ぅーのかそれもおおいに関係するのではないでしょうか。
ちなみに、ウニやイクラ、メンタイコなどは確実に二十歳を過ぎて好きになった物ですが、これはただ単に、
それまでそれ自体の美味しいものに出会えなかったからに過ぎない様な気もするのです。
不思議なことに、肝は好きなのに同じ肝系である塩辛はそんなにひどく好きではありません。
それにわたくしは、ある程度歳も取り苦味好きですが決しては食通ではありません。
テレビや雑誌などで見るものはもちろん、地元で美味しいと言われてる店や料理などでさえまだまだ食べた
こと無いものばかり。
そーそ、たとえば世界三大珍味って言うんだったですかね?(珍味はやっぱり違う様な気がします)
フォアグラは過去に一度だけ食べたかなーって位のことです!
あとのキャビアやトリュフはもちろんですが、フカヒレや燕の巣だとか、あの、なんだっけ、鳥を丸ごと焼いて
皮だけ食べるアレ?・・・とか、高級霜降肉だとか・・・なんだか死ぬまでに一度食べてみたいなー!
などと思いますね。(大袈裟かな!)
んんっ?
なんだか話が段々違う方向に行ってしまいました。
長々と書きましたが結局何が言いたいのかと言ぅーと、年齢と食通は関係無いと言う事が言いたかった
だけなんですけど!