石見銀山資料館

石見銀山の歴史・資料

絵で見る鉱山(石見銀山絵巻)

資料名 石見銀山絵巻
年代 未詳
個人蔵

 石見銀山絵巻は、鉱山の作業風景を日本の伝統的な絵画形式である絵巻物によって描いたもので、上下2巻でその長さは延べ24メートルにも及んでいる。この絵巻の作者及び画作年代については不明であるが、絵巻中に描かれている「石留」は文政年間(1818-1829)以降の技術と考えられるので、従って画作年代はそれ以降であると思われる。また、この絵巻が何の目的のために描かれたかについても詳細は不明であるが、佐渡の場合には奉行所付の絵師に奉行の帰任の際に江戸への報告やお土産として作らせたものであると考えられているので、或いは石見についても同様の目的であったかも分からない。なお、日本に現存する鉱山絵巻の中では佐渡金銀山絵巻と非常に酷似しており、どちらかがそれを手本にして描いたものであるといえる。

 石見銀山絵巻は現在確認されているものとして4種類がある。なかでも上野利治氏所蔵の「石見銀山絵巻」(島根県指定)は絵巻を作成する際の下書であり、この資料によって他の3種類の絵巻の成立順を知ることができる。また、「銀山稼方絵巻」(中村俊郎氏蔵)は2巻のうち上巻だけが残っているが、この絵巻は他のものが墨書の単色であるのとは異なり、唯一彩色が施されており、美術的にも価値ある資料といえる。ただし、この4種類の絵巻は場面構成においてさほど変化はなく、このことから石見についてみると基本となる絵巻1系統しか存在しなかったことを示している。

1.大森銀山御境木と蔵泉寺番所 (鉱山の出入り口にある関所“役所”)

  江戸時代になると鉱山区域を山内と称し、一般の在方と区別していた。石見銀山では当初木柵を張り巡らせていたが、寛永18年(1641)奉行杉田九郎兵衛の時に木柵の代わりに松を植えさせこれを「垣松」と呼んだ。この垣松は銀山を取り囲んで3000本が植えられたと伝えられている。

  また、在方から銀山へ入る交通路には8カ所の口留番所を置き、銀山への出入りや鉱石の抜荷を監視し、商人からは歩一運上を徴収した。
  なお、蔵泉寺口番所は銀山と大森の境に置かれていた。

大森銀山御境木と蔵泉寺番所

2.四ツ留役所の図(坑道の出入口)

 四ツ留とは坑口のことを示しており、「四ツ留役所」は坑口付近に置かれた役所である。代官所の直営の間歩(坑道)を御直山といい、その中でも新切間歩、永久稼所、龍源寺間歩、大久保間歩、新横相のいわゆる五ケ山についてこの番所が設置されている。四ツ留役所には、1カ所に通常銀山附役人3人、同心1人が在番し、夜には役人一人が泊まり番として詰め、坑道から運び出された鉱石や作業員の坑内への出入りを監督した。

四ツ留役所の図(坑道の出入口)

3.鋪内の図(その1-坑道の中の様子)

 鋪とは坑道をいう。坑道内では、鉱石の採掘を行う銀掘、鉱石及びズリの運搬する柄山負、留木を組む留山師、鉱石を叺に入れる入手、使い走りの手子などがそれぞれの職掌を担当していた。銀掘の勤務は一昼夜5交代で、その1交代を一番とし、通常二番行った。
  なお一番につき銀掘の賃金は銀2匁で、一日では4匁となった。

鋪内の図(その1-坑道の中の様子)

4.鋪内の図(その2-坑道の中の様子)

 坑道開削において重要なこととして坑内水の処理と通風の問題がある。坑内水の処理は桶或いは木製、竹製の寸法桶で行っていた。一方、通風対策としては煙抜の掘削などがあったが、農業用の唐箕を坑道内に入れ通風のために利用していた。

鋪内の図(その2-坑道の中の様子)

5.銀山市中の図(石見銀山の町の様子)

 この場面は佐渡金銀山絵巻に描かれているものと酷似しているため、絵巻中の町は石見か佐渡かのいずれか不明である。
 しかし、魚屋の軒先に並んでいる鮫は地元の「わに漁」との関係が推察され、こうしたところに地域性を取り入れている点が大変興味深い。なお、「わに漁」(鮫漁)は石見銀山の近隣の漁村で明治以降に盛んに行われたと伝えられているので、絵巻の画作年代についての再検討の余地を残している。

銀山市中の図(石見銀山の町の様子)

6.鏈洗撰物致す図(製錬をする様子)

 掘り出された鉱石は先ず選鉱工程に送られる。これを「鏈拵」と呼んでいる。選鉱を行うには先ず半切桶に水を張り、「えぶ」という笊の中に鉱石をいれ 水洗いして鉱石についた土石を落とす。次に、かなめ石という石製の台に鉱石を置き、鶴嘴のようなもので鉱石と素石に分ける。
  なお、半切桶の底に留った土石は、汰盆という栗木で作った盆状の道具で比重選鉱を行う。

鏈洗撰物致す図(製錬をする様子)

7.吹方の図(鉱石を熱して溶かす様子)

 選鉱が済んだ鉱石は先ず小吹という工程に送られる。吹床は深さ3尺、廻り7尺の穴を掘り、2尺ほどの厚さでスバイ(炭と土)を塗って築く。小吹の工程では、鉱石の外に溶剤を加え木炭で加熱して溶解させる。次に合吹という工程になるが、これは鉛と銀の親和性を利用する。
  作業としては溶解した鈩中に鉛を加えて鉱石中の銀を鉛に移行させ、鉛と銀の合金を作る。この合金を貴鉛と呼び、これを次の灰吹の工程に送る。
  なお、鉱石中に銅を含む場合には、南蛮吹という工程に廻され銅と銀・鉛を分離する。

吹方の図(鉱石を熱して溶かす様子)

8.灰吹の図(灰吹法を用いて銀を取り出す様子)

 前工程で作られた貴鉛を、内径3.5尺、深さ1.3寸に地面を掘り、スバイを使って鈩を築く。鈩の中には3種類の灰を詰め、その上に貴鉛を置く。次に貴鉛に炭の粉を振り掛けその上に火を入れ、栗か椿の生木を鈩に渡し、その上に火気が漏れないように濡れ筵を掛ける。
  やがて、鉛は溶け酸化鉛となり鈩の灰に吸収され、銀が鈩上に残る。こうしてできた銀を灰吹銀と呼んでいる。

灰吹の図(灰吹法を用いて銀を取り出す様子)

9.極印所の図(出来上がった銀にマークを入れる様子)

 灰吹銀は極印所において銀山附役人等の立ち会いのもと品位を定め、印が押される。その場合、灰吹銀505匁を判銀500目として一包とし、表書きには500目と記す。この箱は菰包にされ、御銀蔵へと納められる。

極印所の図(出来上がった銀にマークを入れる様子)

10.運上銀差立の図(銀を運び出す準備)

 運上銀は旧暦の10月に大森を出立して陸路尾道まで行き、そこから船積みされ瀬戸内海を通り銀座(大阪或いは京都)まで運ばれる。輸送に際しては沿道の村々に助郷役を課し、輸送のための人馬を確保した。
  なお、輸送に際しては馬を使用したということが通説であるが、絵巻中には牛が描かれてあり、他の文献の記述とは異なっている。

運上銀差立の図(銀を運び出す準備)

石見銀山資料館
〒694-0305 島根県大田市大森町ハ51-1
TEL 0854-89-0846、FAX 0854-89-0159

石見銀山に関する質問又はご意見・ご感想等お待ちしております。
このホームページは石見銀山資料館が運営しています。
Copyright(c)Iwami Silvermine Museum. All rights reserved.