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発掘調査の現場情報
●石銀地区(平成5~10年度) ●竹田地区(平成11年度~) ●於紅ヶ谷地区(平成11年度~) ●龍源寺間歩(平成元年度) ●出土谷(平成11年度) ●山吹城下屋敷(平成4年度) ●下河原地区(平成3年度) ●蔵泉寺口番所跡(平成元年度・2年度) 石銀(いしがね)地区
仙ノ山(せんのやま)(標高537.8m)山頂付近には広い平坦地が見られます。昭和63年度から仙山の林道工事が始まり、それに合わせて平成4年から石銀(いしがね)地区の分布調査、発掘調査が実施されました。 仙ノ山には「福石(ふくいし)鉱床」と呼ばれる高品位な銀鉱石の鉱脈があります。開発初期には自然銀に近い銀鉱石を山頂付近で露頭掘りしていたと考えられているため、古い時代の遺跡があることが期待されました。 この度の発掘調査により、開発初期には仙ノ山山頂付近で採掘・製錬などの鉱山労働と生活の拠点があったということが明らかとなりました。また、当時の鉱山技術や鉱山労働者の生活などを知る事が出来たという点で、改めて全国的にも貴重な鉱山遺跡と位置づけられるようになりました。石銀地区では千畳敷(せんじょうじき)地区(平成5年~7年度)と藤田(ふじた)地区(平成8年~10年度)の調査が行われました。双方とも竹林を伐採してからの作業となりました。 千畳敷地区の調査面積は全部で約400㎡で、17世紀前半の吹屋跡とみられる礎石建物跡が見つかり、また16世紀後半に採掘されたと思われる露頭掘りの跡も確認されました。
(左)鉄鍋は煮炊き用として一般に使用されていたもの。この中に灰を入れて灰吹をしたと考えられている。 竹田地区
竹田地区は石銀藤田地区と尾根続きの大規模な平坦地で、この平坦地は山を削って造成されていました。表土下20㎝で建物の床面が確認され、17世紀前半頃の陶磁器が出土しています。 於紅ヶ谷(おべにがだに)地区
於紅ヶ谷地区は仙山山頂付近に広がる平坦地で、「銀山旧記」に、大永6年(1526)神谷寿禎が連れてきた掘大工・於紅孫右衛門(おべにまごえもん)に由来する地名だと考えられます。 出土谷(だしつちだに)地区
出土谷は、文献史料では戦国末頃から居住者のあったことが確認されています。平成11年5月から9月まで調査が行われた調査では、表土直下から土間面と炉跡3基、鉱石を砕くための石臼などが出土し、18世紀~19世紀の吹屋跡であることが確認されました。炉の一つは鉱石を焙焼して硫黄分を除去するための「焼窯(やきがま)」の可能性があります。トレンチ調査では表土下1.5mに石垣が確認されました。 参考資料 |
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