石見銀山資料館

石見銀山の歴史・資料

銀の製錬ー灰吹法ー

  鉱石から銀を吹き分ける「灰吹法」は、国内では石見銀山に最初に導入され、その後全国の鉱山に普及しました。今でも秋田県の小坂製錬所では骨灰で作った皿(キューぺル)を使って品位分析を行っているそうです。この灰吹法の導入によって、日本は飛躍的に銀を増産し、世界の動きに大きな影響を与えました。
  この灰吹法は朝鮮経由で日本に伝わったと考えられています。
  銀の製錬は、

  1. 銀鉱石を砕く
  2. これに鉛とマンガンなどの溶剤を加え溶解し、浮き上がってくる鉄などの不純物を取り除き、貴鉛(銀と鉛の合金)を作る(素吹)
  3. 貴鉛を「灰吹床」で溶解し、銀と鉛を吹き分ける

このような工程で行いますが、このうち3が灰吹法です。

江戸時代の灰吹法

 江戸時代の文献(『石州銀山記録』(九州大学工学部資源工学科所蔵)には灰吹床について以下のように記されています。
「内法径三尺五寸、深サ壱尺三寸位穴をほり、其廻りニ高サ七寸位厚サ五寸位土ニて如図かハを丸くぬり、其内へ下タを水なうニて積おろしたる灰を八寸程入、其上へ又よくおろしたる灰を入、此灰をよく吟味あくなき灰を好とす、鉛貫目に従ひ炉形を作り、大叺の平にて押事五六返押堅め、一床に鉛凡弐貫六百目位積並込、灰の粉をふり掛、其上へ火を入、叺を竪ニ折り片置と申て床の炉えんの上ニ両方へ置、其叺の上ニ三尺廻り程の生木弐本渡し置き、又中置と申てくされ叺を巻キ渡木の間へ目込ニ入、風の不洩ためくされ叺を以目間ニふさぎ申、尤渡木ハ槙・樫・椿の木を好とす、大吹子壱挺ニて吹く次第に渡木の上其外風間ヒゝ濡筵を以火気不洩様ふさぎ、火勢強きを以鉛ハ次第ゝニ灰へ引く、湯の上に不宜ほと(?)り抔弐ハあか有之ハ火箸を以掻除、吹子絶間なくやハゝと吹申候へハ鉛ハ灰江しみ、正銀上ニ溜り申候、右銀を大概弐百五六拾目程ニ而裏目所にて精吹いたし候、右灰吹の上灰ハ松葉を焼候灰を好とす、何れあくなき灰ニて宜し」

(『日本鉱業史料集 第五期 近世篇上』白亜書房 所収)

灰吹法を解明する手がかり

 この技術が石見銀山に導入された当初は鉄鍋を使っていたことが、発掘調査によって明らかとなりました。鉄鍋は開発初期の遺跡である仙山山頂付近(標高 470m)から出土したもので、直径約20cmで片口の付いた煮炊き用の鉄鍋で、敷石と鉄製の火箸も同時に出土し、鍋の中に付着した灰からは鉄、マンガン、鉛、カルシウムなどが検出されました。

灰吹法実演

 平成10年5月に島根県松江市のくにびきメッセで開催された「'98国際金属歴史会議しまね」の銀シンポジウムで、初めて灰吹法の実演が行われました。あらかじめ作っておいた鉛と銀の合金をガスバーナーで溶解し、鉛が灰にしみ込んでいく様子を実際に見ることが出来ました。

  方法が分かったので、その後自分たちでも何度か灰吹法の実演を行いました。ただし銀と鉛の合金を作るのは難しいので、魚釣りで使う錘を叩いてのばし、これに銀の粒を包んだものを使います。幸い大森町には溶接の免許を持っている方がおり、手伝ってもらうことができました。

実験開始

排煙装置を設置し、鉛中毒にならないように気をつけます。セメントの中心部分に骨灰を入れて窪みを作り、ここに貴鉛を置いてバーナーで溶解します。

 

数分して溶け始めた状態。温度が上がるとオレンジ色に輝きます。

 

さらに加熱すると鉛が酸化して溶け始め、灰に吸収されていきます。碁石のような オレンジ色の塊の表面にしばらく鉛が浮いて見えますが、やがてツルンと皮が むけるように鉛が灰に吸収され、銀だけが灰の上に残ります。

 

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