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ブローズ帆走

ランサムサーガの5冊目となった物語は、1934年に出版された、「オオバンクラブの無法者」でした。この物語の舞台となったのは、英国の東海岸に近い、ノーフォーク・ブローズ<Norfolk Broads>です。唯一の例外、「ヤマネコ号の冒険」の舞台となったカリブ海を除けば、ランサムサーガの舞台となった場所へは、住んだことがあるか、もしくは、訪れたことのあるランサムでしたが、このノーフォーク・ブローズへも1931年4月に、マンチェスター・ガーディアン<Manchester Guardian>の編集者(というよりもむしろ社主のような立場)でラグビー校時代の同級生でもあったテッド・スコット<Edward Taylor Scott>とその息子ディック・スコット<Richard Scott>とともに訪れました。
このテッド・スコットという人物は、ランサムにとって心から信頼できる友人で、お互いに尊敬もし、二人は厚い友情で結ばれている間柄でもありました。1932年1月にランサムがツバメたちのモデルとなったアルトゥニアン家の人々を訪ねてシリアへ旅立つときも、サルフォード埠頭まで彼ら夫婦を見送りに来たのは彼だったのですが、同じ年の4月、テッド・スコットは息子のディックとともにウィンダミア湖を帆走中、転覆してしまったディンギイから助けを呼ぶために冷たい湖を泳いだことが仇となって、心臓マヒのために亡くなってしまいました。ランサムは彼の死を聞いて、ひどく落ち込みましたが、それから2年の後に、この「オオバンクラブの無法者」は出版されたのでした。

そのテッドたちとブローズで帆走したときの想い出はいくつか作中に描かれているようです。例えば、水路の中でディックが竿を使ってティーゼル号を進ませているとき、竿が川底から抜けず、竿もろとも川の中へ置き去りにされる場面がありますが、これはスコット親子が実際に経験したことを題材にしました。このとき、息子のディック・スコットは、「僕は体の半分くらいしか川の水につからなかったのに、お父さんは耳のところまでつかったんだよ。」と勝ち誇ったようにランサムに話したのだそうです。しかし、実際のところは、テッドは、もがきながらもどうにか船の甲板によじ登ることができたのだそうですが(1時間近くもかかった)、その後に川に落ちたディックは、船に這い上がることが出来ず、岸辺まで水の中を歩かねばなりませんでした。ようやく土手に這い上がったディックは、泥だらけになった自分の体を見て、ひどく意気消沈してしまったのだそうです。(逆に父親テッドは元気になりました。)


誰から影響を受けたのか

ところで、何がきっかけでランサムはブローズに魅力を感じたのでしょう?どうやら、これは、実在するツバメたちの父親、アーネスト・アルトゥニアン<Ernest Altounyan>からの影響が大きかったようです。アーネストは、やはりラグビー校の出身で、ランサムよりは5歳か6歳ほど年下でしたが、ランサムが青年のときから師と仰いでいたW.G.コリングウッド<William Gershon Collingwood>の長男ロビン・コリングウッド<Robin George Collingwood>と同級生で、ラグビー校時代から、コリングウッド家が当時住んでいたコニストン湖畔のレーンヘッドへはよく訪れ、後にロビンの姉ドーラ・コリングウッド<Dora Collingwood>と結婚し、Taqui ,Susie, Titty, Roger, Brigitの5人の子供たちをもうけました。若き日のランサムは、ドーラに結婚を申し込んだほどだったので、このアーネストを嫉妬し、「まったく、じゃまな男だ。」と思った時期もありました。(ランサムは、ドーラの妹バーバラにもプロポーズしたのですが、この姉妹はこの求婚にはあまり真剣には受け取らなかったようです。)

そんなアーネストでしたが、ランサムは彼と幾たびか帆走をともにし、「アーネストはブローズの偉大な船乗りだし、ブローズに関する書籍もたくさん持っているんだ。」と、他人への手紙に書いたこともありました。アーネストの方も結婚後住むようになったシリアから、住んでいるところがブローズに似ている、などとランサムに手紙を書き送っていたようです。このような環境の中で、ランサムは次第にブローズに対する興味を強くしていったのかもしれません。


エピソード

ランサムがスコット親子と訪れた1931年のブローズ訪問の際には、ポッター・ヘイガム<Potter Heigham>のボート工場からWelcomeという名前のヨットを借りました。この船にはランサムと妻のエバゲーニアが乗り込み、スコット親子は、Winsomeという名前のヨットを借りたのですが、そのWelcomeは、作中でポートとスターポートのふたごが一夜を過ごすことになった、ロチェスターのウェルカム号の名前のヒントとなりました。

そして、1933年には少なくとも2回はブローズを訪れています。この年の秋のクルーズにはテッド・スコットを通じて知り合った、チャールズとマーガレットのレノルド夫妻<Charles Renold> <Margaret Renold>が同行しました。このときは釣りに徹するため、帆船ではなく、モーター・クルーザーを借りたのですが、心ならずもケンダル水路の近くで突然急性の虫垂炎になってしまい、このときはチャールズ・レノルドとロクサムの外科医のおかげであやうく一命をとりとめたのでした。この時分、ランサムはだんだん太りだしてきたところで、ランサムをボートからクルーザーへ引き吊り上げなければならなかったチャールズ・レノルドは、それはたいへんな苦労をしたようです。ちなみに、このときのランサムの体重をRoger Wardale氏は、Nancy Blackett Under Sail with Arthur Ransomeの中で17ストーン、約108s、と書いていますが、「自伝」の中でランサムは、15ストーン、約95s、には届いたことがない、と言っています。どっちが正しいのでしょう。1931年当時のランサムは、10.5ストーン、約67sしか体重がなかったとのことで、このことは、当時の写真を見ても頷けなくはないように思えます。したがって、その2年後に100sを超えるまで太る、というのはいくらなんでもあんまりだと思いますが・・・・・。


最初の構想

ところで、この「オオバンクラブの無法者」は、ストーリーだけを追っていくと、これ以前の物語に比べて、世俗的で単純なお話に陥りかねない要素のある物語だと思うのですが、ランサムが実際にブローズで体験したことやエピソードなどがうまく作中にちりばめてあり、加えてブローズの川や沼などの風景が詳細にわたって(ランサムのあの感性で)表現されているのを読み終えると、ストーリーテラーとしてのランサムの手腕に脱帽せざるを得ません。

そして、この物語の最大の特徴は、ランサムにしてはめずらしいことに、プロットよりも何よりも、まずブローズありき、というところにあります。1933年12月1日付で、母親のエディス・ランサム<Edith R.Ransome>に送った手紙の中で、「次の作品の舞台はブローズにしようと思う。」と書き記していますし、これに続けて、「筋は全く出来上がってなくて、決まっているのは、5人の若いキャラクターと一人の老婦人だけ。」と綴っています。5人、とランサムはこのときに記しましたが、この5人とは、都会からきた二人のきょうだい(これは結局、ドロシアとディックということになりましたが、当初はD’sを登用するという考えはランサムには全くありませんでした。彼ら二人を推薦?したのは、妻のエバゲーニアでした。)、双子の姉妹(ポートとスターボート)とカヌーの少年(トム)だったものと思われます。この時点では、死と栄光号の三人は、まだはっきりと形にはなっていなかったのかもしれません。しかし、この死と栄光号の三人に関しては、ブローズを題材にした19世紀の物語からヒントを得た可能性があります。それは、The Swan and Her Crewという本で1876年にGeorge Christopher Daviesという作家が書いたものでした。この本の主人公も三人の少年たちでしたし、鳥との関わりが描かれていたのも、偶然とはいえないところがあったのかもしれません。

この「オオバンクラブの無法者」と「六人の探偵たち」のことが載っているサイトが、ブローズの方によって公開されています。物語に出てくる土地や町を巡る、ドライビングコースや昔のブローズの写真など、ランサムファンなら必見のサイトですので一度ご覧になってみて下さい。
★Stalhamのサイトへ




ジョン・ウォーカーとトム・ダッジョン

ランサムサーガ全体の特徴なのですが、帆走ということが大きなテーマとなっているので、ドロシアやディックを除けば、船の扱いに長けた子供たちが登場しなくては物語が進行しなくなる、という事情から、この物語でも熟練した船乗りのトム・ダッジョンが、冒頭から登場することになりました。トム、双子たち、死と栄光号の三人は、描かれ方は違いますが、彼らはいわば、この物語の中では、「長い冬休み」の中のツバメたちやアマゾン海賊の役割を果たしている、と言っても良いのではないか、と思います。特にトムとジョンの思考回路や行動様式には似たところがあって、それは例えば、大人たちとの関わり方に表れているような気がします。トムは、ブローズの人間であり、ブローズの風習や考え方をできるだけ守ろうとしたり、受け入れようと考えています。「よそものにはかかわり合うな。」を忠実に守ろうとするのですが、自らの信念に基づいた行動をとった結果、ついにはその「よそもの」とかかわり合う羽目に陥ります。
一方、ジョンの場合は、トムとは立場が全く逆で、「北部の湖」にいるときは、地元の「土人」にとってみれば、「よそもの」にあたるわけで、その「よそもの」のジョンも極力、「土人」たちと接触することを避けようと考えます。「ツバメ号とアマゾン号」では、同盟を結んだアマゾン海賊たちを不利な立場に追い込ませまいとして、花火を爆発させて屋形船の屋根を焦がした犯人の名前をフリント船長に言わなかったために、そのときは「土人」とみなしていたフリント船長とより一層緊張関係が増す羽目に陥ってしまいました。このときに、あっさりとナンシイたちの仕業であると白状していたら、あんなに悩まなくてよかったろうに、と思いますが、これは、約束は守るもの、というジョンの信念に基づいた行動から派生したことでした。トムとジョンは立場こそ、受け入れる側の人間と訪れる側の人間、というちがいはあるものの、「同盟者」ではない他人との関わり方に関しては、同じような感性を持っているように思います。


ブローズの自然

なによりもこの物語は、敢えて言えば、ブローズ賛歌の物語、もしくは、ブローズ紹介物語、と言うことが出来ます。北のみずうみの物語は、その舞台が実在する場所を使ってはいるものの、ランサムの頭の中でそのありかやロケーションは自在に姿を変えて作り出されましたが、この物語や「六人の探偵たち」に関しては、見開きの地図でもはっきりと場所を示し、本文中にも実在する場所をたくさん記しています。今まで書き上げてきた北のみずうみシリーズにおける場所に関する考え方と比べると、これは大変な変貌です。舞台設定が今までのものとはまったく違うスタイルをとるのですから、この物語の構想時にツバメたちやアマゾン海賊はもちろんのこと、Dきょうだいまで登場させる考えがなかったことも頷けるような気がします。(私がカウントしただけでも、作中には、およそ70箇所程度もの実在する地名や川などが反復して登場しています。)
ただ、ブローズというのは、文字どおり、池とか沼を表す言葉であって、Dきょうだいたちがブローズで行動する範囲は広大なのですが、行けども行けどもひたすら川や沼で「北部の湖」シリーズの舞台となった湖水地方の地形のバリエーションの豊かさとは比ぶるべくもありません。しかし、ランサムはこのブローズの自然を好み、その当時から兆しが現れつつあったブローズの社会生活の変化(運搬手段としての帆船の衰退、トラックなど自動車の台頭、ラジオや蓄音機の浸透、工場から河川への汚水流出、人工肥料の過剰使用など)に危惧を抱いていました。当然のことながら、この変化は、自然の営みを破壊するもので、事実、その後はブローズの自然や環境は、他の地域同様どんどん悪化していった、といいます。ランサムは、直感的にそうなることを予期していたのかもしれません。
彼は、豊かな自然に溢れていた古きよき時代のブローズを(もちろん、湖水地方も)とても大切に思っていたようでした。ランサムは、「オオバンクラブの無法者」とそれに続く「六人の探偵たち」の舞台となったブローズを、ミステリアスでどこかわからない地域としてではなく、実名の場所を挙げて書き記すことでブローズの自然をあるがままに表現しようとしたのかもしれません。

作中に出てくる固有名詞を、THE BROADS,Ordnance Survey,1996.(1/25,000)で探してみたのですが、いくつかの構造物は既に朽ち落ちたか、もしくは、取り壊されてしまった可能性があります。そういう構造物の場所や本文中に示された地名などについては、The Maps <THE BROADS>にまとめてみました。

しかし、このブローズと呼ばれる地域は、実際のところ、昔から人間の手をかなり加えて作り上げられたところで、これは、北海の干渉やしばしば起きた洪水など治水関連の側面から手を加えなければならなかったことや、この地方に広く分布していて燃料にも使われる泥炭,<peat>の採掘を積極的に行ったことなど、色々な理由や要素があったようです。特に、機関車が普及する19世紀半ばまでの数百年間は、小麦粉などを一度に大量輸送する手段としては船しかなかった、ということもあり、このために元来あった自然の川を改良したり、新たに運河を掘ったりした経緯があります。

このように人間の手が加えられたことや、「オオバンクラブの無法者」の中で述べられているように、狩猟の獲物として鳥たちが狙われた、ということもあって、自然に生きる生物たちも徐々にその数を減らしていきました。特に、今世紀に入ってからの乱獲ぶりはものすごいものがあって、1927年2月18日には、この日一日で1175羽のオオバンが撃たれた、という記録も残っているようです。

そういう時代の19世紀後半から20世紀初頭にかけて写されたブローズの写真がweb上で公開されています。この写真を写した人は、Dr.E.P.Emersonという医者兼写真家で、彼の名前は、C.HardymentさんのArthur Ransome and Capt.Flint's Trunkの中にも見ることができます。このサイトの開設者、Jon Stringer氏が撮影された今日のブローズの写真も併せて見ることができます。
Jon Stringer氏のA Reflection Of The Norfolk Broads






ところで、作中では、トムとともにDきょうだいがさまざまな橋を苦労して通り抜ける描写が出てきますが、ブローズの橋はそんなに低いものなのでしょうか。
Ordnance Survey The Broads 1/25000には、平均的な潮の場合のBridge Clearancesが掲載してあります。それにしたがって、ティーゼル号がくぐり抜けた橋の高さを見てみることにしましょう。

ポッター・ヘイガム橋(旧)-2.03m
ポッター・ヘイガム橋(新)-2.36m
エイクル橋-------------3.66m
ヤーマス(Acle Road)----2.13m(最初の橋)
ヤーマス(Vauxhall)-----2.13m(二番目の橋)
聖オレイブス橋---------2.44m
ヘリングフリート橋------今は既に存在していないのでわかりません。
ソマリートン橋----------2.60m
ベックルズ橋(旧)-------1.98m
ベックルズ橋(新)-------4.27m(この橋は当時既に存在していたかのどうかよくわかりません。)
ハディスコー橋---------7.32m

ただし、Naoto KIMURAさんによればエイクル橋に関しては、1997年に取り壊されて、今は(1999年1月現在)新しい橋が架かっているとのこと。私のOSのマップは1996年のものですので、現在時点でかかっている橋は、前掲したものとはちがう、ということになります。
このほかにも、たくさんの橋がブローズにはありますが、古い橋は、だいたい3mくらいが水面からの橋の平均的な高さのようです。一番低い橋は、ノリッジのThorpe Railway Bridgeという橋(2つある)で、たったの1.83mしかありません。このThorpe Railway Bridgeは、ドロシアとディックが、物語の冒頭で、トムと一緒に列車でわたったはずの橋です。しかし、ブローズの橋はどの橋も船でくぐり抜けるには、ちょっと大変そうです。現在は、橋によっては、自分たちだけで通ることは許されていないところもあるようなので、もし、ブローズに行って、船に乗ることがあれば、航行可能な水域をよく確認することにしましょう。

ブローズに関しては、Naoto KIMURAさんの「もう一つの舞台」でさらに詳細な情報を得ることができますし、COOTさんのサイトでは、実際にブローズで船の旅を経験されたことが詳細にわたって記録されています。

★Naoto KIMURAさんの<もう一つの舞台>へ



★COOTさんの<ノーフォーク「愛読書の世界」ボートの旅>へ






























































































































































ブローズの古い写真を掲載するにあたっては、
Mr.Divid Holmesのご協力をいただきました。
Holmes氏の著書、
The Norfolk Broads,Sutton Publishing,1996.
Back to The Broads,Sutton Publishing,1998.
は、ランサムがブローズを帆走していた
頃の写真がたくさん載っている
とても素敵な本です。


Special thanks to Mr.David Holmes.



Swallows, Amazons & D's For Ever !