湖水地方へ

1939年11月に「ひみつの海」が出版され、その後1940年4月に「六人の探偵たち」の第一稿が出来あがる頃には、英国に対するドイツの攻撃が激化しつつありました。この頃、ランサムは、英国の東海岸にあるショットリーのホークステッド・ホールに住んでいましたが、ドイツ軍の空襲も日に日に頻度を増してきていました。

ランサムの妻エヴァゲーニァは、

『上の部屋で靴が片方床に落ちる音がすると、もう片方が落ちる音にじっと聞き耳をたてて一晩眠らないような、因果な人間の一人だった。』 (アーサー・ランサムの生涯P457)

ので、夜眠れなくなることがしばしばありました。この不眠状態が繰り返されるようになったため、二人は引っ越すことを考えるようになりました。そこで、何十回目かの(?)転居先は再び湖水地方へ、ということになったのです。このとき、エヴァゲーニァは、かつて住んだことのあるロウ・ラダバーンへは絶対に戻りたくないと主張しました。以前住んでいた時には、電気と水道の施設がなかったからです。その頃は、トイレでさえ庭の隅に穴を掘って用を足していたそうですので、いくら70年くらい前とはいえ、環境的にはいささか劣悪であったのでしょう。
しかし、ランサムがロウ・ラダバーンを他人に売り払ってからは、その後の住人達によって少なくとも電気や水道の施設は引かれていたようです。どこまで、ランサムがこの転居のときにロウ・ラダバーンについて調べたのかはわかりませんが、とにかくランサムたちは、ロウ・ラダバーンへ戻るのはやめることにしました。

そして、この年の9月になって、適当な家が見つかった、との連絡が入りました。
9月20付で母親のエディスに対して送った手紙には、

『妻は湖へ帰る気持ちを固めました。・・・・・ヨットに乗ることもないし、友人達も去って行き、今やこの地はさみしいところとなってしまいました・・・・・ケープ(ランサムの本を出版している会社)は、出来るだけ早く新しい本にとりかかるように、と、けたたましく催促をしてきています。』 (Signalling From Mars, P273)

と、書き送っています。
更に、同じ月の27日には、

『適当な家を見つけることが出来れば、妻は湖水地方へ帰ることを決心しました。・・・・・ある家について、聞いているのですが、それがまた、ばか高いのです。』 (Signalling From Mars, P274)

などと続けています。ちょうど、この前日に、ケープの編集人であったレン・ハワードに送った手紙が、「アーサー・ランサムの生涯」に紹介されているのですが、そこにはランサムが購入しようとしている、ザ・ヒールドという家のことや、そこのロケーションのことが綴られています。母親に対しては、「(家を購入することは)もう決めている」などとは言いにくかったのでしょう。たぶん、「戦争中だし、必要も無いのにそんなに広いところに住むなんて・・・・」と反対されることがわかっていたのだと思います。実際、エディスは購入を見合わせるよう、ランサムに手紙を返しています。

そして、このレン・ハワードへの手紙の最後には、

『一つはっきりしていることは、あそこは、ツバメ号とアマゾン号のための、新たな湖水地方になることです。』 (アーサー・ランサムの生涯P460)

と、書かれています。実は、このときには、「女海賊の島」もまだ発刊されておらず、ましてやスカラブ号のプランは見えていない時で、これはザ・ヒールドの購入資金に充当する目的でケープから借りようとしていたお金のことについて、あたかも「ちゃんとまた作品を書き上げて、それの売上できちんと返済するから心配するな。」と、言っているかのように受けとれます。

結局、この年の10月、ランサムは東海岸から懐かい湖水地方へと引っ越しました。
そのむかし、少年の頃にやったみたいに、このとき彼は手を湖に浸し、「また、帰ってきたよ。」と心の中でつぶやいたのでしょう。

招かざる客

1941年に入ると、「あわれなミス・リー」 Poor Miss Lee(後の「女海賊の島」のこと)の制作に取りかかり、その年の晩秋に出版されました。その間、8月13日に知人のマーガレット・レナルドに宛てた手紙の中には、既に「スカラブ号の夏休み」の構想に関する記述が見て取れます。これを見る限りでは、大おばさんが、フリント船長とブラケット婦人がいないことを聞きつけ、ナンシイとぺギイの面倒を見にくる、という主題は、出来あがっていたようです。と同時にマーガレットに対して、大おばさんがやってきた後のことについて、何かいいアイデアはないか、と助言を求めています。
実は、これを遡る2月13日(偶然にもちょうど半年前の同じ13日です。)にも、ランサムはマーガレットと彼女の夫のチャールズに対して、

『少なくとも、手紙をよこしてくる子供たちの10人中7人は、北のみずうみを舞台にした物語を望んでいます。』 (Signalling From Mars, P281)

と、あたかも「スカラブ号の夏休み」を予言するが如く書いています。今に言うところのマーケティングをこの当時から実践していたわけです。読者が何を要求しているのか、ランサムにははっきりとわかっていたことでしょう。そういう状況の中で、1942年の8月はじめには「スカラブ号の夏休み」は既に完成していました。
ところが、これを読んだエヴァゲーニャが、ひどい出来だから出版するのはやめた方が良い、とまで酷評したので、ランサムはすっかり自信を無くし、しばらく「スカラブ号の夏休み」は、ランサムの手元に置かれる羽目になりました。意気消沈したランサムは、この年の12月、「スカラブ号の夏休み」の原稿を携え母親エディスの元を訪れます。それを読んだエディスは、とても気に入ったと言い、結局、彼女の一言が原稿を息子の手から印刷屋へと送るきっかけとなったのでした。そんなことがあったので、「スカラブ号の夏休み」が出版されたのは、翌年、1943年の6月のことになってしまったのでした。
ところで、「スカラブ号の夏休み」は、ランサムのおばであるヘレンに捧げられています。

ヘレンおばへ捧ぐ

あなたを第1級のおばとして認定します。
あらゆる種類のおばがいますが、資格の無いおばたち
(ナンシイとペギイの大おばさんのように)とは異なり、
善良なおばたちは、甥や姪たちから
第1級のおばとして認定されるべきです。

このヘレン・ボウルトンという人は小説家で、ランサムが物書きになろうと決め、そのことが母親をいたく失望させたときに、母親の求めに応じて、ランサムを説得しにやってきた、おばでもありました。(ちなみに、このときランサムは説得に応じて、ヨークシャー・カレッジの科学科に入ることを承諾しました。)
ヘレンは、クライマックスはどのようにしたら良いのだろう、と悩んでいたランサムに、大おばさんが行方不明になってしまい、彼女を探すための捜索隊が駆り出される、というアイデアを授けました。

ランサムは、彼女について、

『どんなことがあっても、この本をヘレンおばに献呈しようという私のもくろみは、だれにも知らせないで下さい。びっくりさせてやりたいのです。この作品についてじつにたくさんのヒントを与えてくれまして・・・・・・』 (アーサー・ランサムの生涯P482)

と、母親に対する手紙の中で書き綴っています。

邦訳版には無いのですが、原書では、これ以上適切な表現はない、と思えるくらいピッタリな副題、「招かざる客」、"Not Welcome at all" という文字が表紙に記されています。

犬小屋とスカラブ号

「ツバメ号とアマゾン号」をはじめとする「北のみずうみ」のファンであれば、「スカラブ号の夏休み」の中に登場する人々やロケーションについては、すでにお馴染みなのですが、ランサムサーガの多くの物語同様、著者はこの物語にも新しい隠れ家を登場させることにしました。犬小屋がそれです。思い起こしてみると、ランサムの物語ではこの隠れ家、またはそれに準ずる場所が大変効果的に使われています。
「ツバメ号とアマゾン号」ではヤマネコ島そのものが、「ツバメの谷」では文字どおりツバメの谷やピーター・ダック洞窟が、「ヤマネコ号の冒険」ではカニ島、「長い冬休み」はイグルー、北極、「ツバメ号の伝書バト」では黄金の谷、「ひみつの海」の中にはスピーディ号、「シロクマ号となぞの鳥」ではピクトハウス、といったところでしょうか。

物理的な場所のことにとどまらず、ランサムの物語には秘密の内容、ということも、しばしば出てきます。
これらのことは、大人には知られたくない、子供だけにしかわからない何かを共有することで、彼らは自分たちの世界を広げていく、という子供たちの持つ普遍性について、ランサムがキチンと自覚していたことを証明していると思います。

その犬小屋は、ランサムが住んだザ・ヒールドのごく近いところに実際に存在していました。現在もこの犬小屋は古くなりつつあるようですが、今でもちゃんと建っていて、ランサムを愛する英国のクラブ、The Arthur Ransome Society により管理をされているようです。
日本からも既に多くのファンがこの実在する犬小屋を訪れていらっしゃいますが、なかなか見つけにくいところのようです。訪れる予定のある方は、情報によく目を通しておかれた方が良いでしょう。

この物語のもう一つの特徴は、スカラブ号という、Dきょうだいの小帆船が登場したことです。スカラブ号のモデルとなったのは、コッキー・ボンデュ号という少々変わった名前、フライ・フィッシングのときに使う毛ばりの名前、のディンギイで、もともとは、友人のチャールズ・レナウドのためにランサムが作らせたものでした。そのコッキー・ボンデュ号は、ランサムが東海岸に住んでいたとき、繋留してあったランサム自身の海洋船に乗り込む際、よく使われていました。その後、ランサムがザ・ヒールドに転居した折には、一緒に東海岸から連れてこられたのです。コッキー・ボンデュ号は、そのサイズの他のディンギイに比べると重たい船だったそうですが、ランサムはこの小帆船を大変気に入っていたようです。センターボードを除けば、あの古馴染みのツバメ号によく似ていたから、というのがその主な理由だったのです。
しかし、1950年にランサムが再び湖水地方を離れ、ロンドンに住居を移した時に、15年もの間ランサムに連れ添ったコッキー・ボンデュ号もとうとう売り払われてしまいました。

そのコッキー・ボンデュ号については、naotokさんのCockyに詳しい説明がありますので、ご覧になってみてください。

Dきょうだい

そして、「スカラブ号の夏休み」では、ディックとドロシアのDきょうだいが再びメインに据えられました。大学の教授の子供たちであるDきょうだいは、海軍中佐の子供たちであるウォーカーきょうだいと同じように中産階級に属すると思われるのですが、地元の人々との関わり方は、このふたつのきょうだいは大きく違います。
ウォーカーきょうだいは、地元の人達との接触や付き合いは出来るだけ、避けようと考えます。唯一、そうでなかったのが「ツバメの谷」のロジャで、一緒に歌を歌ってスウェンソンおじいさんと仲良くなったり、ケガが原因とはいうものの、若いビリーとウィガムで一夜を過ごしました。

ところが、Dきょうだいは、「長い冬休み」では、無口でとっつきが悪そうなディクスンおじさんと友情を深め、ブローズではトムや死と栄光号の3人たちと深い絆で結ばれ、この「スカラブ号の夏休み」では、地元の少年ジャッキイと仲良くなります。老練な船乗りではなく、万事をわきまえた探検家でもない、というところがDきょうだいの特徴でもあり、このことこそがDきょうだいを巡る人の輪が広がっていく理由の一つだと思いますが、地元の人と仲良くなる、というのは、どうやらランサムの少年時代の再現かもしれません。

そのディックとドロシアの目を通して、今までに何度となく描写されてきた「北のみずうみ」が、この「スカラブ号の夏休み」の中でも説明されています。

『庭には誰もいなかった。・・・・・・芝生のむこうには雑木林があり、その後には、2人の船のためのひみつの港になったタコの礁湖があるのだった。雑木林のむこうは、川がくねくねと伸びているのが見えた。橋があるはずの場所も見えたし、カンチェンジュンガの真下の森には、今朝やってきた男の子が牛乳をしぼる農場が、白い点になって見えた。・・・・・』 (「スカラブ号の夏休み」165ページ)

『ディックは、岸を見て河口を探しながら、湖のむこう岸に向けて船を走らせた。
《とにかく、あれが北極よ。》ドロシアが、旗竿の立っている見晴らし小屋を指さしながらいった。』
 (「スカラブ号の夏休み」230ページ)

「ツバメ号とアマゾン号」を始めとする北のみずうみが、再びこの「スカラブ号の夏休み」で、登場するだけでもファン心理としてはうれしいもので、このことだけを取ってみても、エヴァゲーニャの判断は間違っていたと思います。

ランサムサーガの年次

ところで、全ての物語の始まり、「ツバメ号とアマゾン号」から「スカラブ号の夏休み」を経て最後の物語となった「シロクマ号となぞの鳥」までの時間的な経過はどうなっているのでしょう?
ランサムファンの方々なら、「検討はつくさ。」と思われるでしょうが、とりあえず、以下のとおりまとめてみました。

年次 季節 物語
1年目  ツバメ号とアマゾン号
 (ヤマネコ号の冒険)
2年目  ツバメの谷
 長い冬休み
3年目  オオバンクラブの無法者
 ツバメ号の伝書バト
 海へ出るつもりじゃなかった
 ひみつの海
 六人の探偵たち
 (女海賊の島)
4年目  スカラブ号の夏休み
 シロクマ号となぞの鳥
5年目  Coots in The North

ブローガンによって命名された、"Coots in The North" は、大方は4年目の夏におきた出来事と捉えられているようですが、その根拠となっていることの一つに「シロクマ号となぞの鳥」は子供たちの作り話である、ということがあるようです。私は、「シロクマ号となぞの鳥」を実際にあったことと考えているのと、"Coots in The North" は、何と言っても「シロクマ号となぞの鳥」を発表した後にランサムが取りかかった物語で、特にランサムが作中で断っていない限り、「シロクマ号となぞの鳥」の後に来るのが妥当、と思うので上のような年表となりましたが、みなさんのご意見はいかがでしょうか?

また、「ツバメ号とアマゾン号」はいつの年の物語か、という点に関しても1929年説と1930年説とに分かれているため、物語のスタートをそのどちらを取るか、によってその後の年も1年宛ずれることになります。
年代問題の発端となった、「ツバメ号とアマゾン号」と「ツバメの谷」の記述については、天国にいるランサムに聞かない限り、今後も決着はつかないと思うのですが、最初の物語である「ツバメ号とアマゾン号」では、はっきりと1929年と書かれていますので、これに敬意を表して、物語がスタートしたのは、つまり「ツバメ号とアマゾン号」のお話は、1929年の出来事、ということにしたいと思います。
ですので、最初の年に7歳だったことがはっきりわかっているロジャは、上の表によると1932年の「スカラブ号の夏休み」と「シロクマ号となぞの鳥」のときは10歳、ということになります。

そして、「スカラブ号の夏休み」の後のお話として、次のようなことがあったのではなかったかと想像しています。

ブラケット夫人をスカンジナビア半島の海岸めぐりに連れていったフリント船長は、その小旅行の途中、どこかで旧友のマックに出会い、その気になればシロクマ号がいつでも貸してもらえる状態にあることを知りました。そして、ウォーカーきょうだいたちも北のみずうみにやってきて全員が揃ったのですが、彼らは大おばさんの騒動を聞いて吃驚しました。あと5週間残っていた夏休みの最初の1週間を北のみずうみで過ごした後、フリント船長がヘブリデス諸島を巡るプランをみんなに話しました。きょうだいたちの両親から了解を取り付けると、あわただしい準備の後にフリント船長と子供たちはスコットランドのマライグまで行き、シロクマ号を借りてヘブリデス諸島へ向けて出帆したのです。そのときに起こった出来事が、「シロクマ号となぞの鳥」でした。

そして、その次の年に起きた出来事を描いたのが、"Coots in The North" ということになるのですが、残念ながら、今では断片的にしかその内容を知ることは出来ません。

でも、実は、"Coots in The North" は、ランサムの手によって完成されていて、その遺稿はどこかにあるのでは・・・・・という思いに駆られるときがあります。
万一、それが本当だとしたら、いつの日にか私たちもそれを目の当たりにすることが出来るかもしれませんね。
(完)
Swallows, Amazons & D's For Ever !