2年間のブランクの意味
子供たちだけの北海横断をテーマにした「海へ出るつもりじゃなかった」を完成した後、ランサムは、再び英国東海岸を舞台にした、この物語を書き上げました。「ひみつの海」の見開きの地図に使われている地域は、当時住んでいたサフォークのレヴィントンからほど遠からぬところにある、エセックスの海岸湿地帯です。
この物語が出版されたのは、1939年11月のことでした。前作の「海へ出るつもりじゃなかった」の発刊からこの「ひみつの海」が発表されるまでには、2年の歳月が流れていました。「ツバメ号の伝書バト」のときと同様に、読者は1年ほど余分にランサムの新作を待たなくてはならなかったのです。

ところで、前作から2年のブランクがあったからといって、この時期、ランサムの創作能力が衰えたわけでは決してありませんでした。むしろ、児童文学作家としての本領が発揮されつつあった時ではなかったか、と思います。
このことを示す、ランサムの書簡がいくつか残っています。
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G.レン・ハワード宛書簡<To G.Wren Howard>
1936年1月16日 [ブローク・ファーム、レヴィントン]
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・・・・・創作意欲が再び高まってきました。ここ4日間で私は、次の本のための素敵なアイデアをしっかり捕まえ、それがどこへも逃げてしまわないようにしておきました。・・・ツバメたちだけ・・・ナンシイやペギイ、フリント船長もいません・・・けれど、素晴らしいアイデアで、必然的で無理のない第一級のクライマックスがおとずれるのです・・・新しい角度からの技術的手法や私の望むこと全てが可能となりましょう・・・ 
<P236,Signalling from Mars>

この手紙でわかるように、「ツバメ号の伝書バト」を執筆している最中に、実は既に「海へ出るつもりじゃなかった」の構想は出来上がっていたのです。
また、「ひみつの海」に取りかかっていた最中の1938年1月にも、その次の作品「六人の探偵たち」の骨子が出来上がりつつある状況を知人に対する手紙の中で述べています。
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マーガレット・レノルド宛書簡<To Margaret Renold>
1938年1月24日 [レビィントン]
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・・・・・探偵小説。「オオバンクラブの無法者」のジョージ・オードンは犯罪者として申し分のないことは明白ですし、一方でトムや死と栄光号たちは申し分のない探偵たちです。ただし、ドロシアの想像力とディックの科学的探求心の援助は必要でしょうが。私には今やそのやり方が見えているのです。
・・・・・みんなが死と栄光号たちの仕業だと思うようなことをジョージはやらかすのです。
<P252,Signalling from Mars>

ひとつの作品を生みだすことの苦しみを味わいながらも次の作品のことを考えていた、ということは、この時期、ランサムが作家としての円熟期にあったことをうかがわせます。

また、自らの入院というアクシデントがあったことや第二次世界大戦が近づきつつある状況であったとは言え、この時期はランサムにとって、至宝のひとときでもありました。
そして、その素晴らしい時間を過ごすことが出来たのは、親しくなった子供たちの存在が大きかったのでした。そして、その子供たちは、「2年のブランク」を作らせてしまった張本人でもありました。

ウナギ族
東海岸へ越してきた当初、ランサムはナンシイ・ブラケット号を操って、帆走を楽しんでいたのですが、「ひみつの海」の舞台となったハムフォード湾<Hamford Water>へもしばしば出かけていきました。そして、休暇ともなれば、サフォークへ来てから知り合った子供たち、特に当時住んでいたブローク・ファームの隣家ブローク・ホールの住人であったジョージとジョセフィーヌのラッセルきょうだい<George Russel><Josephine Russel>やジル、マイケル、ジョンのバスクきょうだい<Jill Busk><Michael Busk><John Busk>たちの家族ともども、このハムフォード湾へ繰り出していったのです。特に、1938年の夏休みには、物語の下見も兼ねて何度もここを訪れました。
ちなみに、バスクきょうだいたちの父親コロネル・バスク大佐<Colonel Busk>が所有していたカッターの名前は、タゲリ号<Lapwing>でしたし、そのタゲリ号がいつも曳航していたディンギーは、魔法使い<Wizard>という名前でした。さらに、ホタル号<Firefly>という船は、「海へ出るつもりじゃなかった」の献辞を受けたクレイ家が所有していたスループの名前だったのです。
いずれも、「ひみつの海」の中で登場する船やディンギイの名前ですね。
そして、恐らく、ウナギ族のオリジナルは、たぶん、このバスクきょうだいだったのでしょう。きょうだいの数も同じですし、なんといっても、「ひみつの海」はバスク家に対して捧げられています。

このハムフォード湾を含む広大な湿地帯は、ウォルトン・バックウォーターズ<Walton Backwaters>と呼ばれ、ランサムたちはここへ頻繁に訪れ、物語に描かれているような探検や遊びを実際に行なっていたようです。「ひみつの海」を作り上げる過程においては、こうした経験が大いに参考になったものと思われます。そういう意味では、最初の作品「ツバメ号とアマゾン号」が出来上がった背景にやや似ているのかもしれません。また、以前にアメリカの家族がランサムに宛てて送ってきた「野蛮人ごっこの記録」にも大いに感銘を受け、この中の思いつきのいくつかは実際に「ひみつの海」に使われているそうです。

タゲリ族?
ところで、この物語の最初の構想は、現在私たちが目にしているものとは、幾分違っていて、その概略については、「フリント船長のトランク」<Arthur Ransome and Captain Flint's Trunk, C.Hardyment, Cape,1984>に紹介されています。
それは、二人の街の子供たちがウォルトン・バックウォーターズへ訪れ、そこで三人の地元の子供たちと知り合い、冒険を重ねていく、というものでした。二人の子供たちとは、当初カラムきょうだいを考えていたようで、アマゾン海賊たちは除外されていました。しかし、その後、カラムきょうだいからツバメたちへと配役が代わり、設定もウォーカー中佐に連れられて鬼号でひみつの海へやってくる、という読み慣れたものへと変わっていきました。ウォーカー中佐は、子どもの頃にここで週末を過ごしたことがあった、との設定となっていて、島に捨て置きされる状況は、完成した物語同様です。ただし、このプランではツバメたちにはまだ船は与えられていませんでした。

島に到着すると子供たちは、すぐにマストドンの足跡を発見します。その後、小さな少年が対岸の島から本土に向かって泥の中をアヒルのようなボードを履いて渡って行くのを目撃します。
次にツバメたちがその小さな少年を見たのは、彼が向こうの陸地を狂ったように走っているところでした。彼の姿は間もなく土手に隠れて見えなくなり、続いて少女と少年が犬を連れて彼を追っている光景が目に飛び込んできます。「警察犬だわ。」とティティが言います。ふたりの子供たちは、ツバメたちのテントのところまでやってきます。お互いに言葉は交わさないのですが、どうやら敵意があるような感じではなさそうです。ふたりが行ってしまうと、どこからかあの少年が姿を現します。少年はツバメたちにこの狩りの遊びについてひとしきり説明をするのでした。そして、少年はツバメたちを食事に誘い、次の日の満潮時、ツバメたちは泳いで(!)対岸の彼の島へと渡ります。少年は、隠れ家をツバメたちに見せます。それは、ほとんど朽ちてはいるものの船首の部分だけが残っている、はしけのなれの果てでした。少年は、筏をつくろう、と提案します。それで、釣りをしたり、ウナギを捕まえようと言うのです。また、別の機会に少年は捕えた野生のアヒルを携えてやってきて、スーザンはそれを料理しなければならなくなります。クライマッスの場面では、海水が島の土手を超えて子供たち のキャンプを水浸しにしてしまいます。子供たちは土手の上に避難しますが、筏は水にさらわれてしまいます。そのときでした、彼らを助けようとあの少年がボートを出してきたのは・・・。

この大筋を考え出した後、しばらくしてから、地元の子供たちは、マストドンと3人のタゲリ族(ウナギ族ではない)へと変わり、ツバメたちはボートを与えられることになりました。その後、紆余曲折があって(たぶん)、最終的には、私たちが現在読んでいるストーリーに落ち着いたのでした。

セリーナ・キング
エヴァゲーニアにケチをつけられた、かわいそうなナンシイ・ブラケット号は、1938年の晩夏もしくは初秋に売り払われてしまったのですが、先のマーガレッタ・レイノルズに宛てた手紙の後半にも、

新しい船ができるまでナンシイで帆走しようと思う。1938年の7月までには出来上がらないだろうから、イースターには艤装して出かける準備を整えておこうと考えている。

との記述があります。この新造船は、1938年9月27日に進水式を終え、セリーナ・キング号と名付けられました。しかし、この船も第二次世界大戦が勃発すると、戦禍を避けるためブローズのウルトンに格納されることになってしまいました。ときに1939年9月29日のことでした。不幸なことに戦争が終わった後も、ランサムはこのセリーナ・キング号を再び帆走させることはありませんでした。医者から船は控えるように、と忠告され、大型の船はあきらめて、もっとずっと小型で走らせ易い船を造ろうとしたからです。したがって、ランサムがセリーナ・キング号で帆走を楽しんだのは、実質1年の間でしかありませんでした。しかし、最後に子供たちとともにウォルトン・バックウォーターズへ訪れたのは、大戦の起こる何日か前のことで、その航海はこのセリーナ・キング号が勤めたのでした。

ウォルトン・バックウォーターズ(秘密群島)
さて、そのウォルトン・バックウォーターズですが、本を読む限りでは、干満の差が激しいところでかなり低い陸地のように思えますが、実際はどのようなところなのでしょう?子供たちが体験したように、ピン・ミルからひみつの海への帆走をシュミレートしてみることにしましょう。"Shotley and Hamford Water"の地図を参考にしていただくとよりわかりやすいと思います。

ピン・ミルからウォルトン・バックウォーターズまではおよそ20qくらいですが、そもそもウォルトン・バックウォーターズの入り口ハムフォード湾(ひみつの海)へ進入するルートは非常に浅く、しかも、湾に近いところでは干潮時に顔を見せる泥状の地形(干潟)が迫っています。海図で確認すると沖合の深さは、干潮時では1メートルそこそこしかありません。しかも、場所によっては、数十センチメートルしかないところも航路上にあったりします。したがって、必要な水深を確保するには、オーウェル川<River Orwell>沿いにあるピン・ミルからは、潮が満ち始める時を見計らって出帆しなければなりません。外海に出るまでは、潮に逆らって川を下るのですから、機関が必要になります。鬼号でも、出発の場面では機関を使用していますね。ちなみに今の季節(1999年8月1日時点)では、干潮は朝の9時35分でその後に潮が満ち始めてきます。(ただし、データはWalton-on-the-Nazeのもの。)なお、満潮は午後の3時39分です。(その後、夜の9時59分に再び干潮となり、明け方4時頃には満潮となる。)
川を下るには、ブイのことにも留意する必要があります。ブイは海側から川を上る場合を基準に、てっぺんに四角い標識を持つブイもしくは赤色のブイを左舷に見る必要があり、三角の標識を持つブイもしくは緑色のブイは右舷に見なければなりません。(これは、「海へ出るつもりじゃなかった」61ページでジム・ブラディングが子供たちに説明しているのとは若干違います。ジムは色については、この逆のことを言っています。もっとも、緑のことも黒と言っているのですが。)これを逆に見てしまうと川岸の浅瀬に乗り上げてしまいます。しかし、今は川を下っていくのですから、ブイは逆に見なければなりません。四角・赤→右舷、三角・緑→左舷ということになりますね。
そして、左舷にフェリクストゥ<Felixstowe>のランドガード・ポイント<Landgard Point>、右にハリッジ<Harwich>の長い桟橋が見えるポイントを越えると、あのビーチエンド・ブイ<Beach End>が見えてきます。ここからは進路をほぼ南南西にとります。少し行くと、黄色に黒地のランドガード・ブイ<Landgard>が左舷に見えてきます。これをすぎると前方に安全水域を示すブイが見えてきます。紅白の縦縞があるブイで、パイ・エンド<Pye End>と呼ばれているブイです。このあたりに来ると、上げ潮に乗ってかなり早く進むことが出来るでしょう。しかし、ルートを逸れると大変なことになります。右舷の海域は、非常に浅い瀬で、Holliday Rock Flatsと呼ばれる水域ですし、左舷に広がる海域は広い範囲にわたってMedusa Channelと呼ばれる浅瀬が控えています。景色に見とれて油断しているとすぐ座礁してしまう恐れがあるので注意が必要です。
前方には、低い陸地がとぎれることなくつながっているように見えて、とても内陸部への進入水路があるとは思えません。左手前方の彼方の陸地には、ロジャが言ったネイズ・タワー<Naze Tower>が見えます。さて、潮に乗りながらそのまま真っ直ぐ進むと、左舷を示す緑のブイが現れます。WFYC,No.2というブイです。さらにCrab Knoll,No.3右舷ブイを船のすぐ側に確認することができたら、船は既にハムフォード湾の入り口に達したことがわかります。

真正面は、陸がほとんど水面すれすれで、水面上にひいたほそ長い一本の線にしか見えず、そのはるか後ろに高い陸が見えた。だが、そのほそ長い海岸線には、切れ目がないようだった。湾内の端から端までぐるりとのびているように見えた。 (「ひみつの海」39ページ)

No.5右舷ブイ、High Hill,No.4左舷ブイ、No.7右舷ブイ、No.6左舷ブイ、No.8左舷ブイ、No.10左舷ブイ(順番どおりに並んでいないのはちょっと不思議ですが)と辿っていくと進行方向左側に火打ち石島<Stone Marsh>が見えます。そして、ほどなく水路の交差点を示すブイ、<Island Point>が見えます。これはランドガード・ブイ同様、黄色に黒地です。ここから先は、ブイは2つしかありません。No.9右舷ブイと水路の交差点を示す黒地に黄色の横ラインが入ったブイです。このハムフォード湾、つまりひみつの海は、長さはおよそ5qくらい、干潮時にはおよそ250メートルくらいの幅の細長い水路ですが、満潮時と干潮時の差は3メートル近くもあるということです。ものすごい落差ですね。
さて、No.9右舷ブイのところで右側に広がる一帯がタゲリランドで、原書ではPewit Landとなっていますが、これは、現実にも<Pewit Island>と呼ばれています。PewitとはLapwingの別な言い方で、直訳すると「タゲリ」となり、ランサムが現実の名前をそのまま使ったことがわかります。さらに進んで黒地に黄色の横ラインが入った交差ブイをやり過ごしていくと、水路は「ツバメ、アマゾン、ウナギ秘密群島探検隊」の地図どおり二股に分かれます。真っ直ぐ進んで子供たちがアザラシを見たところは、<Landermere Creek>という水路で、進行方向に向かって右の岸、つまり北岸は2qあまりにわたって土手が連なっていて、ここを子供たちは黒イチゴ海岸と呼びました。土手の向こうは、北極海です。北極海の実際の名前は、<Garnham's Island>となっていて、地図上では島、という認識になっているのですね。もっとも、満潮時にはあたり一面海面が広がっているように見えるのですけれど。
さて、進路をそのまま西にとって進むことにしましょう。アザラシを見たところから2qほど進んでいくと、「運河」の入り口に達します。ここは、<Beaumont Cut>と呼ばれる幅の狭い運河で、600メートルほど行った突き当たりには、何軒かの農場が見えます。現在は、運河の途中ではしけの残骸を見ることができます。
ここから、今来た水路を引き返し、やや南に進路を取ってマストドン島、<Skipper Island>と本土の間を抜けて紅海に出てみることにしましょう。途中、<Skipper Island>にスピーディ号の名残でもあるのでは、と岸辺に向かって目を凝らしますが、残念ながら、今ではその痕跡はまったくうかがい知ることができません。ただし、ランサムと親しかったクレイ家のジョンは、1937年にランサムとともにここへやってきたとき、テムズのはしけがスピーディ号と同じような状態で<Skipper Island>の脇にほっておかれてあったのを覚えているそうです。サギの森もまだ現存していますが、1953年頃、森の中心にあった池に島の土手を越えて海水が流れ込み、それ以来、そこは海水湖となってしまい、サギは住みつかなくなったそうです。
ところで、紅海は、実際の名を<The Wade>と言い、実際に船で帆走してみると、想像したよりもかなり広い水域であることがわかります。また、干潮時に本土まで渡ることの出来る渡り場は、<The Wade Causeway>と言って、本土までは1qちょっとの距離です。足下が少々ぬかるんでいる、という状況を考慮しても、大人の足なら30分もあれば横断することができるでしょう。ただし、子ねこのシンバッドが一緒にいて、あちこち探検を始めた場合はこの限りではありません。
その<The Wade>を西の端に沿って南に進路をとって下っていくと、魔女の桟橋に到着します。ここは物語にあるとおり、狭い水路がクネクネと続いていて、桟橋への接岸には神経を使わなければなりません。その魔女の桟橋がある場所は、<Kirby Quay>というところです。ジョンたちが、入ったものかどうか逡巡した「タール塗りの小さな木造小屋」は、今でもそこ存在しているようです。
来た水路を再び辿って、<The Wade>に戻ることにします。東西約3qほどのこの水域を東の方に進路をとって進んでいくと、アマゾン水路<Walton Channel>にぶつかります。
ここで右に進路をとれば、町、つまり、<Walton-on-the-Naze>へ辿り着くことができます。そして、<Walton-on-the-Naze>に辿り着く手前には、西の方角へ伸びているシンバッド水路が存在することになっていますが、どうやらこれは、ランサムの創造物のようで、今も昔もシンバッド水路があったされる場所には、水路は存在したことはなかったようです。ただし、町にあるヨットクラブは、当時と同一の場所かどうかはわかりませんが、存在しています。
さて、今はこの<Walton Channel>を<Stone Marsh>に向かって上っていくことにしましょう。<Walton Channel>は、干潮時でも<Landermere Creek>同様かなり本土に近いところまで航行が可能な水路です。この水路を上ると再び交差点のブイ、<Island Point>の地点に出てきますが、潮が満ちてきていて、さきほどは泥が見えていたところも今では水面に変わっています。再び、来たときと同様に<Hamford Water>を進んでいきます。左側に見えている低い陸地がツバメ島<Horsey Island>です。先ほどとは異なり、今度は島なりに進路をとって鬼号水路に入ります。この鬼号水路とは<Kirby Creek>で、かつてランサムもみんなを引き連れて、よくここへ来たものでした。水路の向こう、1qほど先にはブリジット島、<Honey Island>が見えますが、地平線が本土と同化しているように見えるため、ちょっと目にはそれとはわかりかねます。そして、<Kirby Creek>の進行方向右側に見えるのは、マストドン島<Skipper's Island>です。<Kirby Creek>は、満潮時には、幅およそ400メートルほどの水路なのですが、干潮時には100メートルそこそこの幅になってしまい、<Honey Island>から南へは航行することはできなくなります。<Horsey Island>の上陸場<Landing Place>は今でも物語のとおりの位置にあるようですが、島の土手のすぐ内側は今では当時と全く様相が違います。かつて、ツバメたちの時代には草むらだったところは、現在は幅約70メートル、長さ約250メートルくらいの大きな池のようになってしまってます。恐らく、何かの事情で海水が土手を越えて侵入してきてしまったのでしょう。しかし、ツバメたちがテントをたてるのに使った低い木立(もしくはその子孫たち?)は、今でも現存していますし、ここがランサムが描いたとおりの場所であることもよくわかるはずです。そして、なにしろ陸地に障害物がないので、遠くまでよく見通すことができるのは、今も昔も変わりがないのでしょうね。
土手は、大部分がせまくて、てっぺんを細道が一本通るのがせいぜいの幅しかなかったが、探検家たちが食糧を積み上げたところは広くて、キャンプするのに十分の余地があり、沼地よりもずっと高かった。土手の内側は、急勾配で牧草地までくだっていて、いちばん下に排水路があり、キャンプ地のすくそばに、小さな池が一つあった。ここだけに、小さないじけた木ややぶが一列あり、そのむこうを見ると、遠くに、牛が草を食べている姿と、一軒の農家の屋根と煙突が見えた。北に目をやると、鬼号水路が秘密の海に続くところが見え、南をのぞむと、おなじ水路がまがって、もう一つの別な内海に続くのが見えた。
(「ひみつの海」51ページ)
ジョンはなぜ地図作りにこだわったのか?
ところで、「ひみつの海」のテーマは何でしょう?全体的にどこか、とらえどころのない感じのする物語のような感じもしますが、父親との間で交わした地図作りの約束がテーマのひとつになっていることは否めません。言い換えると、これは親からの期待に応えること、と言っても間違いはなさそうです。ところで、この約束や期待とかについては後ほど述べるとして、前作「海へ出るつもりじゃなかった」のスリル溢れる状況を読んでしまった後には、この「ひみつの海」のシチュエイションは、私にとっては些か奇異に感じられます。

「海へ出るつもりじゃなかった」では、外海には絶対出ない、と母親と約束したにも関わらず、そして、原因が不可抗力であったとは言いながらも、その約束は破られ、子供たちは心ならずも荒れ狂う北海へ出ていってしまいます。しかし、文学的には、そういう状況は、手に汗にぎるほどのスリルを私たちに味わせてくれて、約束がどうのこうのは、言われてみればそうか、くらいの余韻しか残らないのです。それほど、劇的な出来事に溢れていたし、危機的な状況に子供たちは置かれていたのでした。

ところが、この「ひみつの海」では、『約束』は場面場面でやけにクローズアップされ、そして、それはほぼ完璧に守られていきます。そして、その約束の心配をするのは、主としてジョンです。「海へ出るつもりじゃなかった」では、約束を破ったことについてパニック状態になったスーザンに対し、約束よりも「身の安全」を最優先することを説いたジョンが、ここでは徹底して約束を遵守する、ということに意を注いでいます。しかも、状況というか環境的には、かたや大海原が舞台となっているのに対し、ここでは物理的に限られた水域だし、家族がいるところから遠く離れても絶対に帰らなければならない、という前作の切迫感もここではいずれは両親が迎えに来てくれる、という極めて平和的なシチュエイションになっているわけです。つまり、危機感というのが圧倒的に違っているのですね。2冊を読み比べてみると、約束ということをきっかけとして、こういう危機感の状況に至るまで、対照的と言って良いほど落差があるように思えます。奇異に感じられる、というのは、私にとってそのコントラストが少々強すぎるということかもしれません。

さて、その約束、つまり親からの期待に応える、という点についてですが、物語の中のテッドとジョンをランサムの実父シリルとランサム自身に置き換えてみると、どういうことになるでしょうか。

先ほど記したとおり、「海へ出るつもりじゃなかった」では、約束を破り、心ならずも北海の荒波を越えて外国に辿り着く様を描いていて、その異国での父親との再会が物語中においてひとつのクライマックスとなりました。作中ジョンは、父親テッドから、「おまえも、やがては船乗りになれるぞ。」と肩に手をかけられて、思わず泣きそうになってしまいます。「アーサー・ランサムの生涯」の著者、ヒュー・ブローガン氏は、ここの場面を引き合いに出しながら、『ようやく父親シリル・ランサムとの貸し借りを清算したのだった。』と、記しています。清算する、という意味は、少年時代、父親シリルから期待されていたことに対してやり遂げられなかった自分に対して、つまり、父親からはめったに褒められたことがなかった少年時代の自分に対してある種のけじめをつけた、ということでしょう。ランサムは、父親シリルが抱いていたであろう理想の息子像であるジョンに対し、父親がなし得なかった最高の褒め言葉をテッドの口を通して与えることにより、少年時代の自分に改めて決別した、ということになろうかと思います。(大人のランサム=テッドが少年時代のランサム=ジョンを褒める、 というやや複雑な図式が浮かんできます。)

では、その続編の「ひみつの海」では、その清算はどうなったのでしょうか?
一見すると、父親テッドとの約束に気をもむジョンの姿は、父親シリルの亡霊から脱し切れていないランサム自身、と言えそうです。しかし、果たして本当にそうなのでしょうか。
現実のアーサー少年は、「自伝」とか「生涯」などを読む限り、どうも自らを不肖の息子、と思い込んでいた節があります。そして、そんな風に思うようになってしまったのは、「達成感」が欠如していたことに起因しているように思えます。つまり、本人の適性とか個性は(能力も)脇に置かれ、お仕着せの注文をこなそうとして、結局何をやっても、みじめな失敗に終わってしまうか、あるいは途中でギブアップしてしまう、というようなことが多かったのではなかったか、と思われるのです。
翻って、この物語の最後の結末を見ると、約束は履行され、地図は一応の完成を見るわけです。つまり、成功裡にことは運び、ジョンたちは達成感を味わうことができたのでした。そして、ここで再びテッドがジョンを褒めるのです。「これぜんぶをやったのか?・・・・・まったくよくやった。いや、こりゃ大傑作だぞ。」と。
ブローガン氏の言葉を再び借りれば、この「ひみつの海」のテッドの言葉こそ、ランサムにとっての”清算の最終章”ではなかったでしょうか。そして、このことをテッドに言わせるためには、ジョンには地図を完成させるという約束を絶対に守ってもらわなければならなかったのです。
こう考えると、親からの期待に少々こだわり過ぎのジョンの言動もなんとなくわかるような気がしてくるのです。
Swallows, Amazons & D's For Ever !

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