遊び仲間たち
1935年の秋に湖水地方からサフォークへ越してきたランサムは、オーウェル川北岸のブローク・ファームという家に住むことになりました。1939年4月に対岸に位置するショットリー半島のホークステッド・ホール<Harkstead Hall>に再び引っ越すまでの間、このブローク・ファームで書き上げられたのが、「ツバメ号の伝書バト」「海へ出るつもりじゃなかった」「ひみつの海」の3冊でした。

サフォークに越してきたことで、ランサムは新たな友人をたくさん持つことになったのですが、中でも子供たちとの交流は、今までにも増して盛んになりました。9トンのカッター、タゲリ号<Lapwing>の所有者コロネル・バスク大佐の子供たち(ジル、ミッチェル、ジョン)、ヤング家の子供たち(ジョン、ジェイムズ、トーマス、ロジャ)、ラッセル家のきょうだい(ジョージとジョセフィーン)と彼らのいとこ(レイモンド・フーバード)、そしてマンチェスター・ガーディアンのエコノミストだったヘンリー・クレイの子供たち(ガブリエル、ジム、ヘレン、ジョン)などは、文字どおりランサムの遊び友達でした。
そして、この時期には旧知のアルトゥニアンの子供たちもランサム夫妻のもとを訪れ、ランサムの新しい友人たちとともに一緒に帆走などして遊んだりしていました。

アイデア
子供たちをはじめとする友人たちとの交流やナンシイ・ブラケット号での帆走の日々は、物語を創作するうえで、ランサムに新しいアイデアを与えました。

この「海へ出るつもりじゃなかった」に関してもクレイ家の冒険を聞いたことが、ヒントとなったことのひとつだったようです。クレイ家は、まさにウォーカーの子供たちのように、ピン・ミルとオランダの間の北海を6トンのヨール、ホタル号<Firefly>で往復したことがあったのです。ちなみに、「海へ出るつもりじゃなかった」の冒頭の献辞は、この一家のミセス・ヘンリー・クレイ<Mrs Henry Clay>に対して捧げられています。
また、物語の中で係留中の鬼号が海に漂い出る、というシュチエイションも、ランサムがかつてアーネスト・アルトゥニアンとブローズで帆走中に実際に経験したことを元にしたものでした。こうしたことがヒントになって、「海へ出るつもりじゃなかった」のアウトラインは出来上がったのでした。このほかにも、ナンシイ・ブラケット号で夜に帆走していた際にハリッジ〜フラッシングの汽船が迫ってきたためウールワースの皿を赤い航海灯に見立てたことや、物語のディテールを確かめるため実際にオランダまで往復した時に遭遇した嵐の中で同伴者がひどい船酔いにかかったこと、なども作品の中に反映されています。

しかし、今まで書き上げてきた本のタイプとはうって変わったような海洋冒険小説を書こうとしたのは、実は、1922年に経験したラカンドラ号での航海が潜在意識の中にあったからではないか、と思われます。この年の8月20日から9月26日までの間、ランサムは、はじめて所有したラカンドラ号でエストニアのRevalからラトビアのRigaまでのバルト海を往復したのでした。このときの航海は彼にとって忘れがたい感動を与えたらしく、船を操って未知の海に向かって押し進んでいくことの喜びや自分の船に対する限りない愛着をその航海記録、「ラカンドラ号最初の航海」<Racundra's First Cruise>から読みとることが出来るのです。恐らく、ランサムはこのときのことが忘れられなかったのでしょう。湖上に浮かべる船ではなく、海洋船を所有すること、そして、その船でバルト海のときのように海原を自由に航海すること、これらはランサムがサフォークに移り住む前から考えていたことではないか、と思われます。そして、まさにサフォークでの暮らしはこのランサムの夢をかなえさせてくれる環境にありました。このような背景があったからこそ、ランサムの最高傑作と評されることも多い「海へ出るつもりじゃなかった」は完成したのだと思います。

なお、「ラカンドラ号最初の航海」に関しては、Naoto KIMURAさんの"Racundra"のページで詳細を知ることが出来ますので、ぜひご覧になってみて下さい。

Naoto KIMURAさんの"Racundra"のページへ


鬼号のモデル
よく知られているように、鬼号<Goblin>のモデルとなった船は、ランサムがこの時期所有したナンシイ・ブラケット号です。ナンシイ・ブラケット号は、ランサムの手に渡る直前までは、イギリス海峡に面したドーセット州<Dorset>のプール<Poole>という港に係留されていました。ランサムはプールからピン・ミルまでナンシイ・ブラケット号を回航していくことに決め、1935年9月14日プール港から一人の若者を伴って出帆しました。たぶん、ランサムは4〜5日でピン・ミルまで行ける、と践んでいたのでしょうが、ちょうどこのとき、後になって大いに語られることになるほどのものすごい嵐がやってきて、プールから約50q東に行ったところにあるワイト島<Isle of Wight>のヤーマス<Yarmouth>、ブローズのヤーマスと同じ綴りだがグレイト<Great>はつかない、に着いたときには、舷窓がこわれるなどの被害を被ってしまいます。このときの嵐は確かにすごいものがあったようで、このヤーマスでは7〜8艘の船が沈み、回りの船からは一日中救助を求めるS.O.S.のホーンの音が聞こえていたそうです。後になってプールでは60艘もの船が被害をうけたことを聞いたランサムは、「ナンシイ・ブラケット号を回航したことは、ラッキーだった。」とノスペリアス<Gnosspelius>の家族に宛てた手紙の中で言っています。嵐がランサムの行動を拘束しているときに、ブローク・ファームの賃貸借契約の日(9月20日)が近づきつつあったこととナンシイ・ブラケット号の保険内容を確認するため、その後の5日間は航海が中断されました。そして、9月21日になって再び回航は続けられることになり、ポーツマス<Portsmouth>〜ニューヘブン<Newhaven>〜ドーバー<Dover>を経由して9月27日の朝、ピン・ミルにようやく辿り着くことが出来たのでした。ランサムは、「もうこれで、10年は何事もおきないだろう。」と言い、この回航は バルト海をラカンドラ号で航海したときよりもはるかに困難を極めた、と語ったのでした。

ナンシイ・ブラケット号は、およそ30フィート(約9m)ほどの7トンのカッターで、最初にこの船を回航したときから、ランサムは海洋船としてのこの船をいたく気に入っていたようでしたが、主として妻のエヴァゲーニァが調理室の大きさや船室の構造について不満を持っていたことから、ランサムは新たな船、セリナ・キング<Selina King>を作ってもらうことに決め、1938年にはナンシイ・ブラケット号はとうとう売り払われることになってしまいました。後になって、ランサムはこのことをひどく後悔したのですが、実質3年ほどの所有の間に、航海は38回にもおよび、総航距離は、878マイル(1,412q)に達したのだそうです。その後、ナンシイ・ブラケット号は、所有者もしばしば変わって、あるときは廃船同様の状態となったり、どこかへ売り飛ばされる危機的な状況に陥ったりしましたが、1997年からは、Nanncy Blackett Trustが買い取って管理をしています。なお、その際には英国を始め、日本からも善意の寄付金が集まったそうです。

ナンシイ・ブラケット号に関しては、COOTさんのページでたくさんの写真や解説を見ることが出来ます。
COOTさんの"Nanncy Blackett"のページへ



ショットリー半島
ところで、ピン・ミルなどがあるショットリー半島<Shotley Peninsula>の先端にはその名もまさにショットリー<Shotley>という町があるのですが、「海へ出るつもりじゃなかった」の中では、ツバメたちの父親テッド・ウォーカー中佐は数年間にわたる中国での任務を終えて、このショットリーへ赴任する、との記述があります。
「・・・・・わたしたち、おとうさんに会いにきたのよ。おとうさんはショットリーに配属されるの。・・・・・」 (「海へ出るつもりじゃなかった」21ページ)
子どもたちは、ショットリー岬に立ち並ぶ建造物を見上げた。家々、貯水塔、帆船のマストくらい高い海軍学校の旗竿。黒い木の桟橋の一つに、灰色にぬった海軍のカッター、捕鯨船、軽艇などがたくさんならんでいた。おとうさんがショットリーにくれば、ああいう船で帆走できて、あそこのどこかに住めて、ハリッジ港を見おろせて、船の出入りをながめられるというのなら、とてもすてきなことになる。子どもたちは、これから関係がふかくなるとわかっている人をはじめて見るときのような気持ちで、その場所をながめた。 (「海へ出るつもりじゃなかった」73ページ)
この記述からすると、今までどこに住んでいたのかよくわからなかったウォーカー家もどうやら、この後はショットリーに住んでいた可能性が高いようです。そして、恐らく、そこは半島の最先端でハリッジ<Harwich>を対岸に見ることの出来る、ショットリー・ゲイト<Shotley Gate>と呼ばれる地域ではなかったか、と思われます。ショットリー・ゲイトには、道に沿ってたくさんの家々があり、桟橋や船の停泊所もすぐ近くにあるので、ウォーカー家好みの町と言えます。


ところで、「帆船のマストくらい高い海軍学校の旗竿」は、今でも現存していて、その高さは142フィート(約43m)もあるのだそうです。ここの場所は確かに昔、海軍が学校として使っていたもので、海軍兵士の卵たちは、勇気を見せるため、その旗竿をよじ登って、てっぺんにすっくと立たなければならない、という儀式までさせられたとか。現在、この場所は警察学校として使われているのですが、まことしなやかな推論を言わせていただければ、テッド・ウォーカーはショットリー赴任後は、この海軍学校で若い兵士を対象とする教育部門に携わることになったのではないでしょうか。ショットリーは、今も昔もそんなに大きな村ではありませんので、海軍の主力基地がここにあったとは、ちょっと想像できません。「灰色にぬったカッター」というのも、なんとなく、訓練に使うもの、というイメージを受けます。したがって、ここショットリーにあった海軍とは、作中に書かれているように海軍学校<naval school>のことで、そこに赴任したテッドは、教育担当官とかその管理責任者ではなかったでしょうか。案外、経理担当者だった、とかいう可能性もなきにしもあらず、ですが、フラッシングから鬼号を操って帰るテッドは日に焼けていたようだし、事務職だったりしたらジョンたちもあそこまで「将来は海軍へ入るんだ。」みたいなことは言わないでしょうね。

ところで、このショットリーと言うところ、その歴史を見てみると、アングロ・サクソン人の居住地としての記録は西暦885年からはじまったのだそうです。このときにイングランドの王だったアルフレッド<King Alfred>の軍勢が、当時この地方を支配していたデンマークの王、グスラム<Guthrum>をうち負かしてしまい、そのときの戦争でショットリー沖は両軍の血で真っ赤に染まった、と言い伝えられています。そこは、長い間ブラッド岬<Blood Point>と呼ばれていましたが、あまりにも血生臭い名前だったからか、今ではショットリー岬<Shotley Point>と言う名前に変えられています。

また、子供たちが滞在していたピン・ミル<Pin Mill>というところは、英国の東海岸<East Anglian Coast>では、帆走のできるところとしてつとに名高い村で、そのちょっと変わった名前の由来は、池<pond>と風車<mill>のある村、からきていると言われています。"pond"は、"pynd"→"pind"→"pin"という具合に変化したのだそうです。そして、このピン・ミルでは、かつては「はしけ」だった屋形船がオーゥエル川にたくさん浮かんでいるのを見ることができます。
本に登場する、アルマ荘<Alma Cottage>も酒だるとカキ亭<The Butt and Oyster>もいまだ健在で、特に酒だるとカキ亭はサフォークではよく知られているパブなのだそうです。特にビールがおいしい、と言われていて、英国の他のパブ同様エールが主体なのでしょうが、一度は飲んでみたいものです。また、作中のアルマ荘のミス・ポウエルがよく作ったとされる「キノコ入りの入りオムレツ」は、実際にはメニューになかったらしいのですが、ランサムが「海へ出るつもりじゃなかった」を発表した直後は、オムレツを食べようとする子どものお客さんたちが頻繁にやってくるようになったそうです。そして、彼らは現実にこの世に存在したミス・ポウエルがオムレツを出してくれなければ承知してくれなかったのでした。このせいで、彼女はオムレツの作り方を習わねばならなくなってしまいした。ミス・ポウエルには気の毒でしたけれど、なんだか微笑ましいエピソードですね。

酒だるとカキ亭


北海横断
この物語の特徴は、なんといっても、子供たちが夜の北海を横断する場面にあります。第8章「ビーチエンド・ブイ」の最後で、ジョンたちは自分たちが海に出てしまったことを悟ります。その後に続く第9章「何も見えずにただよう」から第15章「目をさましつづける」までは、夜の北海を横断しなければならなかった子供たちの行動や心理状態、嵐の中の船の様子などが時間を追って克明に描かれていて、いやがうえにも読者の私たちも力が入ってしまうのです。
はじめて読んだ後は、全体的にジョンが主人公の物語、と思っていたのですが、読み返してみると案外そうでもないことがわかります。特に、前述第9章から第15章にかけては、子供たち一人ひとりの行動や心理などが巧に描写されていて、こうした展開はランサムが試みた新しい手法ではないか、と思います。みなさんにとっては、既にご存じのストーリーでしょうけれど、この第9章から第15章の部分について子供たちの心象や行動などをまとめてみましたので、ご覧になって下さい。
状況 ジョン スーザン ティティ ロジャ
霧のなかで外海に出たことがわかったとき 錨をなんとかしなければ、と思う.位置を確認するため不慣れな海図を調べる. 約束を破ったことで気が動転したが錨のことではジョンの手助けをする.気分が悪くなりだす. 船酔いの前兆らしき頭痛.フライパンをたたきつづけることで一時的に気が晴れる. ティティとともに不安をつのらせる.しかし、積極的にジョンに協力しようとする.
外海に向かって漂いだしたとき 海図を見てどうしたらよいか、一生懸命考える.浅瀬を避けることを決意し、行動を起こす.船を必死になってコントロールしようとする. 陸に向かうことを提案.約束を破ったことに対する強い後悔と陸地から遠ざかることに対する不安が増す.本格的に船酔い状態となる.これらが重なり、泣き出してしまう. 見張りをつづける.ジョンの発言を支持する.船酔い状態は徐々にひどくなり、とうとう船室で横になってしまう. ジョンの指示のもと、見張りをつづけ、霧笛を鳴らし続ける.パニックに陥ったスーザンを見て、びっくりする.泣き出したスーザンの冷たい手をそっとなでる.
雨や風が徐々に強くなってきたとき 慣れない鬼号を懸命に操る.向かい風をついて戻ることに頭を悩ます.スーザンにせかされ、風に向かうが結局はもとの進路を維持する.絞帆を決意し実行する.船外に投げ出されたかもしれないほどの危機を経験する. 船酔いのため、何もできない.引き返すことにこだわる.ジョンが船を転回したときには猛烈な船の動きに耐えられず、帰ることをあきらめる.船酔いは治らず、ジョンの絞帆作業をつらい思いで見つめる.ジョンの危機に肝をつぶすが、その後、船酔いは解消していく. 寝棚に横になりながら本当の航海をしたとの実感を募らす.こんなときでも、ナンシイに知らせてやりたいと考える.方向転換のときはひどくおびえてしまい、それをロジャに知られたくないと思った.ジョンが無事に生還したのを見て、船内のムードが変わったことを敏感に察する. おびえはなくなり、ジョンと二人で船の責任を引き受けているような気持ちになる.防水外套を船内からとってくるなど活躍する.船が方向転換したときはこわがりながらも「すごい!」と感じる.
夜になったとき 絞帆結果に満足する.航海を楽しみ始める.スーザンの申し出を頑固なまでに拒否.汽船の危機に際しては、小さなけがを負う. 4人が無事なことをあらためて喜ぶ.汽船を発見するほどに回復する.汽船に曳航してもらうことを提案.汽船が鬼号を粉砕する様子を想像するがロジャのためにチョコレートをとってきてやるほど普通の状態に戻る. 波のうねりを楽しむ.汽船の危機のときは、機転をきかせ、ウールワースの皿を左舷燈に見立てることを思い出す.ロジャが眠るのと同時に眠くなってくる. 夕飯の心配をする.ポークパイを食べた後は、疲れてしまい、ポンプを押している最中に眠ってしまう.
夜明け前 せいいっぱいのことをやったのだ、という気持ちから、自分は幸せ、とまで思う.鬼号と自分が一体となった喜びを感じる.ナンシイのおたふくかぜのことを思い出して笑うほどの余裕.その後、睡魔に襲われ、起きたスーザンに舵をまかせ、しばし眠る. ティティとロジャを寝かしつける.その後、疲れ果てて自分も眠ってしまうが、ジョンがウトウトとして鬼号のコントロールを失ったときに驚いて目をさます.またしても、海に出たことを気にしだすが、ジョンに代わって舵をとることになる. 白河夜船
物語の評価
あらためて読み返してみると、このような比較的短かい時間の流れの中で一度に4人を描写し、緊迫した状況を説明する、というランサムの意図は完全に成功しているように思えます。上の表からは、色々なことが読みとれますが、特に、スーザンの動揺はかなり激しいものであったことがわかります。約束を破ってしまった、ということはかなりのプレッシャーをスーザンに与えたのですが、あやうい瞬間があったにせよ、ジョンがリーフィングを終えて無事に操舵室へ帰ってきたことはいつものスーザンを取り戻すきっかけとなったことが窺えます。このスーザンの描写をはじめとして、こんな状況の中でも子供たちの個性はそれぞれよく描かれていて、相変わらずのロジャの腹へらしには思わず笑ってしまいますし、ティティがこの冒険をナンシイに知らせてやりたい、と思うのもいかにもティティらしい、と感じたりしてしまいます。そして、なんといっても、ツバメたちのリーダーたるジョンの頑張りには目を見張るものがあります。「災難に見舞われても、けっして他人を乗船させてはいけない。」とジムに言われたことを忠実に守って、夜の汽船に遭遇しても、スーザンの言うこ とを全くきかないところなどは、ジョンの新しい側面を見ているような気もします。

そして、荒海を乗り切った子供たちは、異国の地、オランダのフラッシングで思いがけなく父親テッドと出会うこととなり、事情を聞いたテッドはジョンのことを「おまえもやがては船乗りになれるぞ。」とほめるのですが、そのくだりについて、「アーサー・ランサムの生涯」では、『この作品を書くことで、ようやく父親シリル・ランサムとの貸し借りを精算したのだった。』としています。ランサムと父シリルについては、「ツバメ号とアマゾン号」の『理想の息子』を参照下さい。

たくさんの点で、この「海へ出るつもりじゃなかった」は、ランサムの新境地を拓いたものと言えそうです。しかし、ランサムの本分(?)は、こうしたスリリングに溢れる場面を描く、というよりは、「子供たちが自分たちを探検家や海賊、鉱山師などに置き換えて、休暇を思いっきり楽しく過ごす」ことを主体として描く点にある、と思ったりもしますので、この点でランサムにしては少々異色の作品、と言えるのかもしれません。加えて、船や操舵に関する描写も船乗りなどではない一般人にとっては、いささか理解を超えたものですので、この作品の好みに関しては、人によってかなり評価が違ってくるのではないか、と思います。例えが適切かどうかわかりませんが、私にとっては、ビートルズのアルバム"Let It Be"が発売された当初、その中に収録されていた曲"The Long And Winding Road"のように隠れた名曲と言われつつも陽があたりそうであたらない、というような存在に思えてくるのです。しかし、そうはいっても、ランサムの作品群の中では、やはり、最高傑作かそれに準ずるもの、であることは間違いのないところではないでしょうか。
Swallows, Amazons & D's For Ever !