Dきょうだい

「長い冬休み」は、1933年にランサムが発表したサーガの4作目となる物語ですが、ランサムサーガ、特に北のみずうみを舞台にしたものの中でも、いくつかの特徴を持った作品です。
そのひとつは、もちろん、はじめてDきょうだいが登場したことです。これまでに発表した物語は、ツバメたちとアマゾン海賊たちの物語、あえて言えばジョンを中心とした物語でした。そして、ジョンというキャラクターは、ランサムの父親が望んだ「理想の息子」を表現した存在です。この「長い冬休み」ではランサムは、理想の少年ではなく、少年の頃のままの自分自身を投入しようと考えたのかもしれません。1929年にウィンダミア湖が凍結したことを知ったランサムは、少年時代に経験した凍結の時のこと(1895年の凍結)を思いだし、冬の物語を書きたいという欲求を膨らませていました。「自伝」の中にも少年時代に見た湖の凍結のことやそのとき見た光景が色々と書かれています。自分が少年時代に見た冬の湖やその時の経験。それらは、理想の少年のジョンではなく、自分の少年時代そのままのキャラクターに語らせたかったのかもしれません。

この新しいキャラクターたちの性格づけに関しては、「長い冬休み」の中でも随所に出てきますが、吹雪をついて北極に向かったDきょうだいを救出するため、他の子供たちが凍った湖を北に向っていく途中で、ジョンがDきょうだいのことについて考える場面は、特に極めつけと言えます。
『ジョンは、ドロシアの事を考えた。じぶんたちのように丈夫でない、小さな都会育ちの女の子が、一日じゅう、あの目もあけられないふぶきの中にいた。ジョンは、ディックのことも考えた。頭はよい思いつきでいっぱいだが、たいていの場合、その場に不適当な思いつきばかりしている。』  (「長い冬休み」412ページ)
しかし、このような新しいキャラクターを創造したことで、物語の進行もこれまでの物語とは、まるで異なったものとなりました。「長い冬休み」のほとんどは、主としてドロシアの視点で物語が進行していきます。ドロシアは、熟練した船乗りでもなく、冒険を重ねた探検家でもありません。彼女は、ごく普通の、しかし物語作りが好きな女の子として描かれています。このような少女の視点というのは、それまでのサーガにはなかったものです。したがって、ツバメたちやアマゾン海賊にとっては、しごく当然なことも(たとえば、ボートを漕ぐ、といったようなこと)彼女やディックにしてみればまったく初めての経験、ということがたくさんあり、こうした物語の展開はごく一般的な読者と同じ視点なので、私たちにある種の共感を与えるのではないでしょうか。それに加え、目の前にある事象をすぐに物語にしてしまう、という彼女の持つ特徴は、ジョンの現実的な視点、例えば船の航跡が定規を引いたように真っ直ぐになっているかとかマストの削り具合は適当か、などとは随分異なり、この物語全体がドロシアの持つロマンティックな感性に包まれているかのよう な印象を私たちに与えてくれます。もっとも、冬という設定がそれに輪をかけているのかもしれませんけれど。
ドロシアと似たような特性は、ティティにもあるのですが、彼女たちの違いは、ドロシアは想像はするにしても現実的に言葉そのものにこだわるのに対し、ティティは多分に空想の世界へ嵌り込んでいく、というところでしょうか。しかし、ランサムにとって、この「長い冬休み」では、彼女たち二人の特性をはっきりと際だたせることが難しかったせいか、ティティの心象はこの物語ではまったくと言っていいほどなく、そのため、彼女はジョン以上に霞んだ存在となってしまいました。新しいキャラクターが二人も登場したので、これはやむを得ないことかもしれませんね。

しかし、ランサムは、この「長い冬休み」を創作する上においてもいくつかの悩みを抱えていました。そのなかのひとつに、ジョンを少年らしくうまく描くことが出来ない、というのがありました。ランサムは、知人に、ジョンはまるで17歳か18歳みたいで、ちっとも子どもっぽくない、と不満を述べています。物語では、このときジョンは13歳か14歳くらいのはずですが、確かにランサムの描いた挿し絵のみならず、言動をみても、これ以前のサーガに比べたら、ますます大人びた存在になっています。



ペギイの活躍

特徴のふたつめは、ナンシイのおたふくかぜ、という突飛もない状況設定のため、ペギイという存在がクローズアップされた、という点です。「生涯」によれば、今まで地味な存在だったペギイを活躍させるために、ナンシイを敢えて病気にさせた、ということのようですが、ペギイという少女は、あとにもさきにも、この物語を除くと全く表には出てきません。確かに、「長い冬休み」以前の物語の中でも、ナンシイの引き立て役というか、少々中途半端な存在ではありました。しかし、彼女は、ここではナンシイに代ってリーダーシップをとろう、と努力します。このペギイの頑張り振りをみると、どこかしらホッとしてしまいます。なぜかというと、常にリーダーに従ってきた人間というのは、リーダーが不在となった場合、つい、他のだれかに頼りがちになってしまいやすいものですが、ペギイはそうではありませんでした。なんとかして頑張ろう、と努力をするのです。これまでの物語では、あまりペギイの心象というのが語られなかっただけに、「おお。君もやるじゃないか。がんばれよ。」と応援してしまうのは私だけでしょうか。もっとも、最後のところでナンシイが復活したのを見て、彼女が いつでも指揮がとれるようになったことをほんとうによろこんでいた、ということなので、ここでも二重にホッとしてしまったりします。



冬の物語  
雪を抱いたThe Oldman

そして、三番目の特徴として、ランサムサーガの中では唯一、冬の物語である、ということがあげられます。冬であるために帆走のことが出てこない、という状況は、本当にDきょうだいが生きた設定だと思いますし、他のサーガには見られない雪の景色や風景がふんだんに語られているのも、この物語の大きな特徴となりました。これが、もしかりに夏の出来事だとしたなら、初登場のDきょうだいがここまで生き生きと描かれていたかどうか・・・。先に書いたとおり、この「長い冬休み」は、ランサムの実体験に基づく物語です。白雪に陽があたって澄みわたる湖と青い影をきざんだ山々、凍った湾の上で雄牛が丸々一頭焼かれている光景、ガラスの容器に入っているように足下の氷の中にとじこめられていたパーチ、湖でのスケート、丘の斜面をそりですべったことなど、これらはすべてランサムが少年だった頃に、実際に見たり体験したことでした。後に、ランサムはこの物語について、「なにかほろりとした感懐がある。」と書き記したのです。







よい本について

ところで、ランサムは、読者がだれであろうと、よい本というものは、作者が自分自身のために書いたものである、と信じていました。彼の熱心なファンであり、「はるかなオクサス川」をキャサリン・ハルと共同執筆したパミラ・フィットロックに対して書いた手紙の中に、このことがはっきりと述べられています。
『親愛なるバミラ。すこしばかり、とんまになってやしませんか。2つ前の手紙に、あなたは、大衆に対して本を書きたいと言っていました。しかし、大衆のことを考えていたら本など書くことができなくなる、ということを頭に入れておきなさい。よい本というのは、誰かのために書くのではなく、大衆の耳に自然と入ってくるものなのです。もし、あなたがまずまずの本を乱作する一人になりたいのなら、大衆を選ぶべきで彼らのために本を書くべきでしょう。しかし、あなたはそれよりもよりよくなりたいと考えているのでしょう。あなたはまともな人間だし、考慮すべきはあなた自身のことだけなのです。・・・・・』     <Page302,Signalling from Mars,Edited by Hugf Brogan,Cape,1997>

『・・・・・あなたが望むことを子供たちに与えなさい。もし、あなたが正しい編集者ならば、子供たちもやはりそれを求めている、ということがやがてわかるでしょう。・・・・・』   
    <Page310,Signalling from Mars,Edited by Hugf Brogan,Cape,1997>
「長い冬休み」は、このランサムの信念がもっとも顕著に示された物語ではないかと思います。
なぜならば、前述したようにこれはランサム自身の体験がたくさん描かれていて、その視点は、ツバメたちやアマゾン海賊が登場するにも関わらず、ランサムの分身とでも言えるようなDきょうだいの目を通して表現されているからです。

でも、冷静に考えてみると、夏休みだったりイースターだったりと子供たちの休暇中の物語について書き続けたランサムが捻り出した、ナンシイのおたふくかぜ、という設定は、ほんと、ウルトラE級の技ですよね。



北極の所有者1

さて、この「長い冬休み」では、北極という、この物語のポイントともなるべき建物がおしまいの方で登場します。この北極がいったいどこにあったのか、また、モデルになった建物はなんだったのか、ということついては、The Houses and The Placesをご覧いただくとして、ここではこの北極とはいったいどういう建物でいったい誰が所有していたのか、ということについて考えてみます。

北極に関しては、概ね次のようなことが物語の中で書かれています。
★所有者は別にいる。(295ページ)
★所有者は複数のようで鍵を持っている。(332ページ)
★湖のいちばん奥にある。氷からたった数メートルあがったところにある。(335ページ)
★北極の煙突はカラスの巣ですっかりふさがっていた。(340ページ)
★湖よりもやや高いところにある小さな建物。(397ページ)
★湖に面して張り出し窓があり、湖から見て反対側に小さな煙突がある。(397ページ)
★屋根には旗竿が立っている。(397ページ)
★100年よりちょっと昔、一人の老人が湖の季節の移り変わりを見ることが出来るようにこの建物を建てた。当時から見はらし小屋といわれている。(398ページ)
★張り出し窓の下や暖炉の両側にも、そして壁沿いにも羽目板を背にしたベンチがぐるりと並んでいる。また、部屋の真ん中にも六角形の椅子がある。その椅子は屋根の上に突き出ている旗竿の根本をぐるりと取り巻いている。(399ページ)
★今までだれも見晴らし小屋を夜に使うことは考えなかった。(420ページ)

北極は、物語の時期より100年くらい前に、あるひとりの老人がどんな季節にでも湖が見えるように、と作らせた建物だったようです。そして、そのころから見晴らし小屋<viewhouse>と言われていて、昔も今もこの小屋の中で居住することは、考えられていなかったことがわかります。ちなみに、このような建造物をsummerhouseとも言うらしいのですが、この建物には暖炉まで完備されているので、本当に、あずまや<summerhouse>と言えるものかどうかよくはわかりません。

話は少し逸れますが、1996年にコニストン湖を訪れた際に、ジョン・ラスキンの屋敷だったブラントウッドへ行ったのですが、ここは本当に見晴らしが大変良いところで、屋敷からの眺めが一番よいところには、張り出し窓、というか、張り出し塔のような窓が作られていて、北極の建物のミニチュア風な感じを受けました。このブラントウッドにも北極と同じような感じの張り出し窓があったことを考えると、単に眺めを見るためだけに見晴らし小屋を建てる、というのも確かにありそうなことだと思います。

ブラントウッドの張り出し窓


しかし、この見晴らし小屋を建てた老人が亡くなり、ディックたちが苦労の上に辿り着いたその当時は、この見晴らし小屋は一人の所有者ではなく、複数の人に管理されていて、しかも、どうやら手入れさえあまりされていないような状態だったようです。暖炉が備え付けてはあったものの、煙突にカラスの巣があったところからみて、この建物は、たぶん、夏までは使用されていたものと思われます。これらを総合すると、「管理者として複数の人間がいて、主として春から夏の間に使用されているらしく、宿泊できる設備はなくて、ぐるりを見渡せることができるように、湖からやや高いところに位置し、内部の壁や中央には椅子が取り付けられており、しかも屋根の上には旗竿が高くそびえている建物。」ということになります。英国の、しかも随分昔のことなので、現代の日本人の感覚が通用するかどうかわかりませんが、この建物に関する歴史を推理すると、次のようなことが考えられるのではないでしょうか。



北極の所有者2

1.老人が北極を建てた頃には、たぶん、旗竿はなかったのでは?
景色を、しかも日中に見るだけだったら、旗や竿は必要ないのではないでしょうか。いくらなんでも自分の所有を示すために、何かの旗を老人がせっせと掲げては降ろし、降ろしては掲げて、というのはちょっと考えにくいです。

2.1.と同様に、壁に作りつけてある椅子や旗竿のぐるりにある椅子もなかったのでは?
老人は一人で移りゆく景色を眺めたのですから、そんなにたくさんの椅子は必要がなかったものと思われます。六角形の部屋の真ん中に椅子が一つあれば、十分ぐるりの景色は見渡せたことでしょう。ただ、建物の強度上、旗竿があったとされる中央には、確かに支柱のようなものが必要だったとは考えられますけれど。
さらに、想像を逞しくするなら、わざわざこのような建物を建てさせる人物、どの季節にもまわりの移り変わる景色が眺められるように、と考えるような人間とは、画家、もしくは絵を趣味とする中流階級以上の人間くらいしかいないでしょう。ということは、その老人というのは、画家だったのでしょうか?

3.老人が死んでから、見晴らし小屋は、誰かの手にわたり、そこで改装されたのでは?
前記1.および2.から必然的に導かれますよね。この第三者は、何かの目的のため、椅子や旗竿を取り付けた、と考えられます。

4.椅子や旗竿を取り付けた目的とは?そして北極の引き取り手とは?
(1) 夏の間だけ、この見晴らし小屋を観光客にレンタルしている業者が買い取った。旗竿は所有を示す旗を掲げていたかも。業者だから、そこで働いている人間は複数いる可能性が高い。しかし、椅子の多さは説明がつかないし、宿泊設備がないことも説明ができない。
(2) なにかのサークルか団体が集会等の目的で購入したかまたは譲り受けた。旗はその所属を示す、という点で○。椅子の多さもうなづけなくはないし、泊まる設備がないことも、まあ、わかる。複数の人々というのも符合する。しかし、ここに全員が集結する、というのは恐らく年間を通じて極めて希なケースと思われ、そんなことのためにわざわざ購入したとは考えにくい。ただ同然で譲り受けたのなら話は別。けれど、あまり使わないから、煙突にカラスが巣食ったとも言える。
(3) ホテルが買い取った。見晴らしがいい、というところから近くのホテルが買い取った。そして、自分のホテルの宿泊客をここに連れてきて、お茶を振る舞った。そのためにも、椅子の増設は必要だった。また、ホテルの持ち物を表すために旗と竿が必要だった。こうみると、だいたい、いい線いってると思いますが、煙突の掃除を忘れる、ということがあるのでしょうか。煙突の掃除くらい、ホテルが所有者だったら、やりそうだがなあ。
(4) ナショナル・トラストが買い取った。鳥とかの観察に使えるように、とか考えたのでしょうか。しかし、スレートとか石造りなら話はわかるけど、木造の小さな建物を果たして、ナショナル・トラストは買い取ったりするものでしょうかしら。管理人を置くほどのことではない、と判断したのなら、煙突の掃除が行き届いていないのも納得できます。しかし、なぜ椅子をたくさん作りつけたのか、については解せません。(だいたい、そのままの状態で買い取ってあまり手を加えたりはしないはずですよね、この団体は。)
(5) 老人、または彼の相続人が、ここら辺りを管轄する地公体もしくは国に譲った。譲り受けた地公体もしくは国は、この建物をview pointとして一般に開放することとした。ただし、椅子をたくさん取り付け、所有を示す旗を掲げることにし、それも観光シーズンに限って開放することにした。開放といっても宿泊をさせることは許さなかった、ということだったら結構符合したりしますね。でも、こんな所有者から、シーズンオフとはいえ、一時的にでも借りたりすることが出来るものでしょうか。
しかし、本当に北極ってのは、ランサムファン泣かせの困ったテーマに違いありません。
Swallows, Amazons & D's For Ever !