今月号2004-4

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いつまでも残したい津和野の伝統行事

   流鏑馬

  日本で唯一原型を残す流鏑馬の馬場で、古式ゆかしく行われる鷲原八幡宮の伝統的な神事で、馬に乗り駆けながら弓で矢を射て的に当てるという、勇壮且つ雅な行事。毎年4月 日に近い日曜日に、午前と午後2回行われる。今年は4月 日になる。  日本人ばかりでなく、海外の人にも人気がある。是非これからも続けていきたいお祭だ。

源鷲原八幡宮(わしはらはちまんぐう)初代津和野藩主吉見頼行が鎌倉の鶴岡八幡宮から1387年に勧請したもの。現在の社殿は、1568年に改築された。(県指定文化財)茅葺きの楼門は、優美さと繊細さが、周辺の景色と調和している。

津和野人物史伝 その4  坂崎出羽守           (1565頃〜1616)

 江戸幕府津和野の初代城主坂崎出羽守成正(直盛ともいう)は、正式には津和野出身者ではないが、津和野に貢献した人物としてあげてみよう。わずか十六年の治世であったが、この間積極的に藩内の整備や改革を行い、現在の津和野の形が出来たといわれている。  もとは宇喜多家という名門の出で、一門の多くが関が原の戦いで西軍につき滅亡したが彼は確信を持って東軍で活躍し、徳川家康に認められ、津和野三万石の城主となった。その後、大坂夏の陣において大坂城より千姫(徳川家康の孫、豊臣秀頼の正室)を助け出し、名声を博したが、その千姫を嫁にするという家康の口上を信じたが、かなえられず千姫を略奪しようとして失敗し、捕えられ自害した。  彼の親友は柳生但馬守宗矩で、彼に諭されて切腹したとも言われている。後、坂崎家の家紋(二枚笠)はこの柳生家の家紋となった。  津和野永明寺境内の奥まっ たところに坂井出羽守と称し た彼の墓がある。その真正面 に本多家の墓というのが仁王 立ちに建っている。千姫の再 婚先本多家(姫路城城主)と ゆかりがあるのかどうかは知 らないがこれも因縁か。