事実と可能性とそして



小説じゃない上に支離滅裂でごめんなさいませ……


 
 この世界が丸いなんてのは実は思い込みで、本当はどこまでも広がる平面であってもいいじゃないか。
 火っていうのは実は甘くて水は酸っぱくてもいいじゃないか。
 人は5本の足で歩いて犬は1本で立ってクモは二足歩行なのかもしれない。
 この世が完璧に正しいわけはないし、だからといって間違ってるとも言わない。
「そうやってこの世は果てしなく広がる混沌にその身を固めていくんだろうか?」
 僕は呟くがこの問いに答えてくれた人はまだいない。
 空は何色かと聞けば大体「青」とくるが、実際は赤や黄色や緑や紺とか色々あるし、
本当の色は別に何色でもいい。そう、何でもよいのだ。
「空が青かろうが赤かろうが、はたまた紫であっても人間は気にはしない。それは普遍的な事実
であり注目に値するものではないんだ」
 こう言うと皆それはそうだと頷くが、本当に分かっているのかは分からない。
 大体にして言葉を紡ぐ僕にすらなにも分かっていないのに、皆には分かってしまうとは
不思議な話だ。
「世の中で君は何を見て何を感じているんだい?」
 こう尋ねると皆思い思いのことを言う。感心するようなものもあれば
やけに下らなく思えるものもある。
 まぁ、どれもこれもその人間にとっては大事なことなのだから
こういうのも失礼であるのかもしれない。
 僕がつまらないことが隣りの人には可笑しいらしいと気付くこともある。
 つまり、人にはそれぞれ価値観があってそれに従って考え行動している。だが、その一人一人の
価値観を無視しする「一般常識」というものがある。
 これがまた困ったものだ。
「観念を固定して無限に可能性がある事象に出来るだけ1つに近い答えをまとめ上げようとする」
 そんな事をしてどうするのだろう。
 たとえば目の前の少女が本当はスライムで隣りで笑っている年老いた男性はまだ3つにもならない
幼児かもしれないのに、少女は少女、年老いた男性は年老いた男性とラベルを貼っていく。
 可能性は可能性、事実は事実なのかもしれないが可能性は時に事実では推し量れない事もある。
 可能性がある限り一般常識という枠を重要視するのはお勧めできない、と僕は思う。
 ……おっと、長々とごめんよ。どうやらお喋りがすぎたみたいだね。
 ん?
 続きはどうしたのかって?
 そんなものは必要ないんだよ。
 最後に君たちに問うけれど、「本当に『答え』は必要なのかな?」 






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