つれづればなし


ここでは葵が徒然ながらに思っているような
駄文を語っていこうかと思いまする。


★健康のはなし
 こんにちは。桜町葵です。  今回は健康についてお話をしてみたいと思います。
 病気でない。怪我でない。そういうことだと思いますが、この観点から見たら 本当に健康な人は、実は少ないんじゃないでしょうか。
 そして、健康な方は障害を持つ方を、障害を持つ方は障害というものをどのように捉えるべきなのでしょうか。

 まずは健康の定義をば辞書から引いてみますね。

 けんこう【健康】
  ・体や心がすこやかで、悪いところのない・こと(さま)。
   医学では単に病気や虚弱でないというだけでなく、肉体的・精神的・社会的に
   調和のとれた良い状態にあることをいう。


 よって健康の定義をまとめると以下のようになります。
  ・身体がしっかりとしており、損傷がなく病に冒されいないこと
  ・精神がしっかりとしており、異常がなく病んでいないこと
  ・社会が安定しており、戦争や飢餓がなく、衛生が保たれていること


 となりますね。
 ただし、今回の話は身体的健康の面で考えるため、精神的・社会的健康は今回の話からは 省かせていただきますね。いずれ話すこともあるかもしれませんが。

 さて、文頭で葵はこう言いましたね。本当に健康な人は、実は少ないんじゃないでしょうか、と。
 それは自分に関係する所で考えてみてもらえばわかりやすいことです。
 例えば自分の周囲だけに限定してみてください。
 葵は後天的に左耳に障害を持っていますし、花粉症が結構ひどいです。
 葵の母も花粉症に喘息。父はお酒で肝臓を悪くしてしまいました。
 友人の中にも喘息・花粉症の類の病気を持っている人は多いですしね。
 どうでしょう?
 皆さん自身や皆さんの周りにも、なんであれ病気を抱えている人もいらっしゃるんじゃないでしょうか。
 自分の周りだけなのではないか。と思うかもしれません。
 けれど、自分の周りだけでさえそれだけいるということです。
 自分を含め、周りに全く健康な人しかいないとあればそれは幸せなことです。
 "健康体"というのと"完全健康体"というのは別物であり、 多くの方は"完全健康体"ではないということです。
 よって、"健康"とは"少しの損傷も病もないこと"ではなく、"基本的には完全健康体に近い生活を送れるヒト"ということです。

 身体的障害というのは大別すると、視覚障害、聴覚障害、言語障害、肢体不自由、内部障害、重複障害のようになります。
 聴覚障害・言語障害は計測上はまとめて数えられるようですが、これは(両耳に)聴覚に障害がある場合、 音を判別できないために言語にも障害を生じてしまうからでしょうね。
 平成13年度6月1日の厚生労働省の調査によると、身体障害者の総数は約325万5000人(千の位以下四捨五入)だそうです。
 その中で肢体不自由者の数が抜きん出ており、その次が内部障害者でした。
 年齢で言えば中年代に入ってから激増する傾向にあるようですね。

 身体障害者とはどのようなものであるのか。
 それは一般的に"健康体"であるといわれるヒトと変わらず、それでいて違うということです。
 意思疎通の面でも身体障害を持つ方はその障害を克服していらっしゃいますし、例えば 足に障害があったとしても、車椅子を使い外を出歩いている方もいるので移動もできます。 ただ、時には不便で困ることもあるでしょう。 しかしそういった時には、進んで周りが助けてあげるべきですし、障害を持つ方も自分から 助けを求めることが重要です。

 よく障害者であるというだけで差別的な先入観を持ち、避けたり、必要以上に世話を焼くヒトがいます。
 避けることは、"関わったらメンドクサイ事になるのではないか"という観念からおそらく来るものか、 あるいはごく差別的意識から来るものなのでしょう。
 けれど、その様な方はその色眼鏡を外して物を見ていただきたいと思います。
 差別的観念はまず捨て去り、その人をその人個人として見、その上でその人と接してください。 そうして初めてその人と関わるか否かを決め、結果"避ける"という答えが出たのならそれは仕方のないことかもしれません。
 必要以上に世話を焼くヒト、ですが、これは良いこととして捉えている方はいませんか?
 まず大切なのは、世話を受ける側が本当に助けを求めているかどうかです。
 助けも何も必要なく本人が普段通りに生活しているのに、その人が障害者だからと勝手に世話を申し出るのは逆に失礼なことです。
 中にはそうやって世話をされることで健康体に対するコンプレックスを感じる方もいらっしゃるかもしれません。
 普段できることを世話されることで返って不便に感じる方もいらっしゃるかもしれません。
 確かに、世話を申し出るのは立派なことだと思います。しかし、何も考えずに必要以上に世話を焼くのはその人も差別的意識を持っている可能性があります。

   障害者の方も当然自分が健康体とは違う事を意識しなければなりません。
 それは劣等感を持てということではなく、助けを求めることを惜しんではならないということです。
 障害があるということを素直に認めることです。
 自分の障害に関して思い悩み、時には健康体の方を羨むのは仕方のないことです。どうしても払拭できない心理でしょう。
 しかし障害があることにただひたすら劣等感を持つとしたら、あるいは劣等感から人の助けを頑なに拒むなら、それは自分自身で自分の障害を悪く差別視しているということです。
 葵も左耳に障害があり、左の聴力は全くありません。
 だからヒトと話しながら歩いている時など、左側のヒトの声がよく聞き取れません。 しかし、そういう時は自分から左側のヒトに位置を代わってもらっています。
 葵は自分の障害を隠す気はサラサラありませんし、周りの友人もこの障害についてはよく理解してくれています。
 他人に、自分の障害のことを理解してもらうにはまず自分から周りの助けを請うことが重要です。 そうすれば、周りのヒトも障害を持つヒトがどのような時に困り、どんな助けがいるのかもわかってくれるのです。
 葵の障害は両耳ではなく、確かに軽度のものと仰られるかもしれません。
 けれど、この際に障害の重・軽が関係あるでしょうか?
 物理的な部分で障害を克服できるのに、どうして精神面で克服できないことがあるでしょうか。
 障害を持っていたとしても健康に暮らすことはできるのです。
 周りの気遣いと自分の心があれば健康に暮らすことができるのです。

 健康であるということは難しいことです。
 人間はちょっとすると病気にかかってしまいます。怪我をしてしまいます。
 だけど、重度に健康を損なったとしても、ヒトは健康に暮らすことができます。
 健康体の方は思いやりを持ち、そして障害者の方から目を背けないでください。
 障害者の方は自身を持ち、そして自分の障害から目を背けないでください。
 健康な人はいつ健康でなくなるかもしれないということを肝に銘じてください。
 障害を持つ人は自分の障害を自分自身できちんと理解することを忘れないでください。

 ちょっと私情を挟みつつも健康のはなしでした。
 上手く自分の考えを伝えられたかは心もとないのですが、健康について皆さんも考えてみていただけたらと思います。



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