つれづればなし


ここでは葵が徒然ながらに思っているような
駄文を語っていこうかと思いまする。


★信頼のはなし
 時々悩むです。自分はどれくらい人を信頼してるのだろうと。自分は人を深く 信頼しないことで楽な生き方をしているのではないかと。
 他人を信じているつもりです。なのにそう言いきれない自分がいる。とても苦しいです。
 今回は信頼のお話ですが、その信頼することの葛藤についてのお話です。

 囚人のジレンマというものをご存知でしょうか?
 元はとある研究者が考え出したゲームだそうです。これを実際として考えてみたいです。
 内容は以下のようなものです。

 ある日二人の犯罪者A,Bが捕まります。二人は仲の良い共犯関係にあることは明らかです。
 取調べの警官は二人を別々に尋問することにしました。二人はお互いにメッセージを 交換することは不可能な状態で交流しました。また警官は二人を重罪に処する証拠を 確実に掴んでおらず、もし有益な情報を二人から利き出せない場合は別件でそれぞれを 短期間の禁固刑に処すという意向を持っています。
 まず警官はAに話を持ちかけます。
「あんた、全部話しちまいな。あんたがヤツ(B)のしたことを話せばあんただけは 無罪放免になるんだぜ」
 ここでAが悩みます。Bのしたことを話せばBを裏切ることになる。けれど、 話さなければ自分は短期間の禁固刑に会うのも警官から聞いて知っている。なにより、 相手も自分を庇って話さない、だなんてことはあるのだろうか? Bは裏切るのでは?
 そして警官はBにも同じ話をし、二人は同じ問題で悩むことになります。

 Aの主観として考えます。
 1.もしAがBを裏切らず何も話さなかった場合
  a.Bも裏切らなかった場合
   二人ともが仲良く短期間の禁固刑を受けるが、二人の仲はおそらく良好。
  b.Bが裏切った場合
   Aは自白しなかったことにより刑が増加し、重罪を受ける。Bは釈放。
   二人の仲は険悪になる(特にA→B)。
 2.もしAがBを裏切り何もかも話した場合
  a.Bが裏切らなかった場合
   Bは自白しなかったことにより刑が増加し、重罪を受ける。Aは釈放。
   二人の仲は険悪になる(特にB→A)。
  b.Bが裏切った場合
   罪状が全て明らかになりA,Bが重罪を受ける。但し1-a・2-bよりは実刑は軽い。
   二人の仲は最悪になる。

 ゲームの結果から実際に置き換えて以上のようになります。

 Aにとってはどの選択がよかったのでしょう。自分が刑を受けずにすむ2-aでしょうか。
 2-aになってしまうかもしれません。それを望む人は多いかもしれません。楽な道ですから。 自分は刑を受けず全てをBに押し付けた。その心の枷をつけてどこまでも歩いていける人ならば これはベストな選択かもしれません。
 でも、それは大切なものを切り捨てたのだとは思いませんか?
 利益を考えれば2-aを間違いだとは言えません。自分の為を考えれば理に適う行為だと思います。
 しかし、押し付けたAはBに対して罪悪感を感じ遠ざけるのは当然。またBは自分を裏切った Aを憎んでしまうのもまた当然です。Bが釈放された後、AとBはもう交流することはないでしょうし、 もしかするとBの憎悪がAに対する何らかの復讐行為に繋がるかもしれません。
 人として大切な何かを失い、友人或いは仲間を失い、下手をすれば別の仲間からの信頼を失い、 そして最後には新たな犯罪に繋がったとしたら、それは本当にベストな選択だったと言えますか?
 もちろん、実際に犯罪にまで繋がるかはわかりませんし、B以外の仲間からの信頼を失うかも わかりませんが、ほぼ確実にBとの信頼関係は修復できないと思っていいでしょう。
 そして、罪悪感に駆られるでしょうし、Bからの復讐に脅えるかもしれません。

 2-bならどうでしょうか。
 二人が裏切りあい、結果二人が重い罪を受け、二人の信頼は崩れ去ります。
 二人はお互いが裏切ったことに罪悪感を感じます。二人が再び笑いあう日は来ないでしょう。
 論するまでもなくお互いにとって利益もなく信頼も残らない結末を迎えます。
 
 1-bもそれはAにとって損益しかない、最悪の結果です。
 Bに裏切られ、重罪を受け、そしてAはBへの信頼を持てず関係を修復するのはとても難しい。
 どうして素直に自白しなかったのだろうと嘆く日々にAは何を思うでしょうか。
 裏切らなかったということに道徳的な自信はあるでしょう。でも、だから何なんだ。 そう思うでしょう。

 もし、1-aだったら……。
 短期間の刑を二人で受けるとしても、釈放された後、二人には信頼しあえる関係が残ります。
 それはお互いが、「自分が相手を信じきったのだ」という確固たる自信が持てるからです。
 二人は「上手くいったな」とお互いに手を叩きあうかもしれません。
 確かに利益の面では満点ではないかもしれませんけど、信頼できる相棒がいるのです。素敵と 言う言葉を使ってはいけませんか?

 信頼するということの難しさ、辛さ、苦しさ。
 答えは一つじゃないです。ゲーム上では上記の4つの結果しかありませんが(ちなみにその後の 二人の仲に関してはゲームでは言及されてません)、実際はもっと多くの結果もあるでしょう。
 でも、もし実際にこのような状況に立たされ、上記の4つの結果の中からどれか1つを 選べるならば、やはり1-aがいいと思いませんか?
 そう思うのは偽善でしょうか?

 ちなみに、ゲームを何度も重ねていくと二人の参加者の間に共感が生まれ、1-aとなる割合が どんどん上がっていくそうです。
 お互いが犯人であり被害者と置き換えることのできる状況なので、一種ストックホルム現象で あるのかもしれませんが、やはり人は信じあえる生物なのだと思うのです。

 人を信じることは難しいです。どうして信じればいいのかわからなくなることもあるでしょう。
 ですが、信じようと思う気持ちをまず持ってください。
 思い悩む中で、誰もが本当に信頼し合える日が来たら素晴らしいですね。
 ……誰もが信頼しあえるなんてことは夢のまた夢であることはわかっていても、 そう願ってしまうのです。


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