パンダーズのメンバー(名前をクリック♪)
のら(ドラム)
健太郎(ベース)
やまぐ(ギター)
チョッキー藤原(キーボード)
パンダーズの歴史
TonyBin時代(1996〜1998)
1996年、高校時代にTHE BLUE HEARTSのコピーバンドを一緒にやっていた
健太郎(Vo、B)と
ミッキー大野(Vo、G)によりバンド
Tony Binを結成。14曲入アルバム
「FREE&EASY」を制作し、
健太郎の幼馴染だった、
たんき(Drs)をメンバーに迎え、何度かライヴを行う。97年には
健太郎が会社の同僚で、以前調律師をしていた
チョッキー藤原(Vo、Key)をバンドに誘い、四人編成となるが、98年秋の安来市民会館でのライヴをもって活動停止となる。当時のレパートリーとしては、
マニアックパーティ、
ルート9、
冴えない男の見てた夢などがあった。なお、
のらは当時
CHOCO BABYというビートルズのコピーバンドでドラムをやっていた。ちなみに
健太郎と
のらは小学校時代の幼馴染。
スピリタス時代(1998〜1999)
98年夏、TonyBinでの活動に行き詰まりを感じていた健太郎は、以前からやりたかったビートルズ後期の曲をやるため、チョッキー藤原、のら、そして米子出身のケージー岡本(G)に声をかけ、バンドを結成。バンド名はケージーが「スピリタス」と名づける。Back In The USSR、Lady Madonna、Get Back、Let It Be、Helter
Skelterなどのビートルズナンバー7〜8曲をレパートリーに年内秋から冬にかけて5回のライヴを行う。また、徐々にオリジナルナンバーも増やし、翌年秋までにきっと会える、冴えない男の見てた夢、バッハのように、SUMMER HOT SUMMER、ガリレオの憂鬱などをライヴで演奏する。この時代の曲が後のアルバム「パンダグラフ」の軸をなしていくことになる。
ソロ活動期(2000〜2003)
メンバーそれぞれの仕事が忙しくなり、スピリタスは自然に活動停止状態となる。この時期、健太郎は夕張メロン(椎名林檎コピー)、BAPY(aikoコピー)、ハリスンズ(ビートルズコピー)などの活動を行っていく中で、たまたま誘われた聖飢魔Uの単発コピーバンドで初めてかなづると一緒に演奏する。しばらくたってかなづるから新バンド「Black Ship」に誘われ一度練習に参加するが、都合により脱退することとなり、その後もBlack Shipも暗礁に乗り上げ、解散となる。のらはハイスタのコピーバンドうみうし(後のNSA)に参加し、チョッキー藤原は温泉につかってゆっくりしていた…。
パンダーズ黎明期(2003〜2004)
前年の
健太郎の結婚式で
君とゆこうを演奏するために集まった
健太郎(B)、
ミッキー大野(G)、
チョッキー藤原(Key)、
のら(Drs)は新たにオリジナルのバンドをやっていく事とし、03年秋からレコーディングに入る。バンド名は
健太郎が思いつきで「
パンダーズ」と名づけた。レコーディングは8トラックのアナログMTRで進められ、04年の6/19をデビューライヴと定めて練習と録音が進められていく。しかしレコーディングも佳境に入り、ライヴも間近という所でMTRが故障。やむなく16トラックのデジタルMTRを急遽導入し、ライヴ前一週間足らずでシングル「君とゆこう/ルート9」を制作、無事ライヴ当日に配布する。順調なスタートをきったかに見えた
パンダーズだったがしかし、ライヴ後
ミッキー大野が個人的事情により脱退、
パンダーズは3人体制になる。既に夏以降のライヴと新たなアルバムのレコーディング予定を立てていたパンダーズだったが、
健太郎が松江水郷際バント
゙かなもり&ハニーパンダで再び同じステージに立っていた
かなづるにサポートを依頼し、8/21
えだねか音楽祭、9/19
LIVE@安来のギターサポート、そしてアルバム 「
パンダグラフ」のギター録音を
とよ氏(
nico-feu)と共にやっていくこととなる。練習や録音を一緒にやっていく中で次第に意気投合していった四人は今後も共に音楽をやっていく事を決意し、12/19松江B1でのライヴで正式に
かなづる加入を告知、同日
かなづる作のシングル「
ハピ☆クリ」を発表(無料配布)する。しかし明けた2005年、3/21の
LIVE@安来#3後
かなづるが抜け、再び3人体制となってしまうのであった。
4人編成期(2005〜2009)
3人目のギタリストとして、健太郎の大学時代の友人である鳥取在住のやまぐが加入、よりロック色を増したパンダーズは「スリーピングビューティ/この世の果てまで」「タッチ・ミー」「ランデヴー」と続けてシングルを発表、ライヴ回数も増やしていき、06年以降は年間二桁のライヴをこなすようになる。また、07年からはLIVE@安来に代わる主催ライヴ、LIVE@LOACHを月イチで開催していくこととなり、THE
GANG LICENSE、WILD TRIGGER、☆arrow eyes☆、NITRO STICKなどバンド仲間も増えていく中、07年末に結成当初からのメンバーだったチョッキー藤原がソロ活動へ移行するため脱退。これ以降、パンダーズは正式にスリーピースバンドとして活動していくこととなる。
活動停止(2010〜)
2010年1月17日のライヴをもって活動停止
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